ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

記憶の彼方に...2

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「今度勝負しよう」
そんな口約束が果たされずに終わってしまった事が何度もある。
いつかそのうちに出来るさ、と思っていたのに不意に永遠に出来なくなってしまう...「ああ、やっておけば良かった」なんて悔いはひどく辛い。

Yさんと言う人がいた。
ゴルフイラストを描き始めてから、その人の悪い噂を何度も聞いた。
詳しくは聞いていなかったが、その媒体から追放になる様な事をしでかした人だと。
ゴルフはうまかった...恐らく業界でもトップクラスの実力で、ある程度有名なコースのクラチャンをいつも争っているとも聞いていた。

初めて会ったのは某ゴルフ雑誌社の編集部コンペ。
前の組でまわっていて、そのゴルフをじっくり見る事が出来た...小柄ながらよく筋肉のついた締まった身体をしていて、ヘッドスピードの速い豪快なスイングだった。
ドライバーも飛ぶしアイアンもキレがあるショットを打つ、評判通りの名手だった。
...常に前の組のオナーだった。

そのY氏が、ラウンド中に何度も後ろの我々の組を見ている。
特に私が打つ時はいつもこっちを見ている。
当時は私はゴルフを始めて2~3年ながらオフィシャルハンデはシングルとなり、(読者代表として)取材のモデルを良くやらされて、プロとの飛ばしっこで勝ったとか、ヘッドスピードがドラコンの人より速かったとか、パーシモンでニューボールの試打をやったら270ヤードの練習場のネットを越えてしまうので取材中止になったとか...イラストレーターにバケモンの様な奴がいる、と業界で噂になっていたらしい。
それで、Yさんもどんなもんかと私を見ていたんだと後で聞いた。
特に180ヤードくらいのパー3でピンにくっつけた時には、大きな声で「ナイスショットだー!」と叫んでくれた。

そのコンペの後、出版社で会う度に「今度ゴルフの勝負しようよ」、とか「近いうちに一緒にまわろうよ」とか声をかけてくれるようになった。
しかし、私も月例に出たり仕事のラウンドがあったりで結構忙しく、Yさんと一緒にまわる機会はなかなかつくれなかった。

そしてある大きな出版社コンペで、またYさんを見かけた。
今度はスタート時間も離れていて、ラウンド中に彼を見かける事はなかった。
が、彼はどこからか私のプレーを見ていたらしい...「相変わらず飛ばしているね」なんて昼に声をかけられた。
...その後はしばらく会う事も無かったけれど、ある日また〆切の原稿を持って行った出版社ですれ違った。
挨拶代わりにYさんは「今度こそ近いうちに勝負しようよ」と声をかけて来た。
「是非よろしくお願いします」と答えてすれ違った後、急に立ち止まってYさんが声をかけて来た。

「あのさ、一つだけ僕の言う事を聞いてくれる」
「キミはいつも全然素振りしないで打つけど、頼むから1回素振りしてから打ってみてくれない?」
「そうしたら、キミのスコアはずっと安定するから」
「じゃあ!」

その言葉が最後だった。

しばらく時間が経った後、打ち合わせをしている再中に編集者が「そういえば、キミはYさんを知っていたっけ?」と聞いて来た。
「顔は知っていますが、個人的な付き合いはまだありません。」
「Yさん、少し前に亡くなったんだって」
「え? なんで? あんなに元気だったのに」
「彼は今一人暮らしだったらしいんだけど、シャワーを浴びている時に倒れてそのままだって...」

「一人暮らしじゃなかったら、誰か気がついたかも知れないんだけど、大分時間が経ってから判ったらしい」
「色々あった人だったみたいだからなあ...」

「打つ前に、1回だけ素振りをしてみろ」
それがYさんの遺言になってしまった。
確かに自分は素振りをしない...そういうリズムになれてしまったからそれが普通なんだけど、彼の言葉はそれからずっと頭に残る。
つい忘れてしまうけれど、言われたように1回素振りを入れると、確かにショットのトッチラカリは落ち着く...

「今度勝負しようよ」
「1回だけ素振りしてみてよ」
そんな言葉が記憶の彼方から、今の時代の私に生き続けている。

勝負したかったなあ。