ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

プレーヤーは自分自身以外に咎めるものはない

イメージ 1

「プレーヤーは自分自身以外に咎めるものはない」...スコットランドに古くから伝わるゴルフの格言。
英語では
The Player has no one to blame but himself.
だとか。

つまり、「ゴルフにおいて出会うどんな場面も、それは全て自分が引き起こした結果なのであって、他のどんなものにも原因・責任を転嫁出来る物では無い」、ということ。
こんな事は、ゴルフをプレーする上での誰もが判っているはずの「原理原則」なのであるけれど、これほど守られない言葉はない。

普通の、凡俗の、特別ではない、ゴルフ好きのゴルファーは、改めて確認しなくちゃいけない。
自分の使うボールが、「絶対に自分から動かない」と言う事を。
ちゃんとルール通りに作られた、真っ当なボールであると言う事を。
それをきちんとしないから、ボールが止まった所であんなにも悪口雑言を吐き、悪態をつき、呪いの言葉をかけ、怒りに打ち震え、絶望を訴え、不運を嘆くのだ。
きっと、心の底でボールが自分の意に反して悪意を持ってそこまで動いた、と思っているのだ。
あるいは、人や物の怪や神の力が自分を陥れようとしていると思っているに違いない。

その動かないボールを、そこまで動かしたのは自分だけ...自分自身だけがその結果を招いたのだと言う事を認める事だ...この格言はそう言っている。
当たり前と言えば当たり前の言葉なんだけど、その当たり前の言葉が古くから格言として残っていると言う事は、それだけ「戒めなくちゃならない程」昔からゴルファーは誰かの何かの所為にしていたと言う訳だ。

もちろん、俗物ゴルファーの見本の様な私めも例外じゃなく、ミスした後は何かの所為にして来た。
いつもそうしたあとは反省するんだけれど、つい心弱い自分は反射的に「自分は悪くない」「これは何かの間違いだ」と思ってしまう。
まあ、自分が悪い、自分の責任だ、なんて思う事が正しいのは判っていても、なにしろミスの数が多いから全てそれで自分を咎めているとなんだかマゾヒスティックな感覚になって行っちまう。
それでそんな時に自分をただ責めて「堕ちて行く快感」に浸っちまうと下手すりゃ病気だし、他のものの所為にすると当たり前に卑怯だし...

平静な自分のままで、自分自身を咎めながらプレーを続けるのは結構難しい。

それで以前俗物は考えた...小人物は害のない何かに責任を転嫁した方が、ゴルフを楽しむ事が出来るんじゃないか。
「害にない何か」とは、もちろん他の「人」ではなく、「もの」に他人に判らない様に「責任転嫁する」こと。
クラブに当たるのは、同伴競技者に気がつかれるし、醜い。
それで以前はボールに当たって、それを捨てるとかしていたけど...それもいいもんじゃない。
ならば、と最近はティーショットならティーをゴミ箱に、パットならマークを捨てる(もちろんキャップマークみたいに高いのは無し(笑))。
アイアンならこっそりシャフトを齧ったり....

本当は平静で(ふり、でもいいけど)いられれば問題ない事だけど、心狭い人間がいいゴルファーになろうとする事は結構大変だってこと。
私自身、いいゴルファーへの道は,,,まだまだまだまだ...遠い、遠い。
せめてこんな格言を忘れないようにしなくちゃね。

~みんなおいらが悪いのさ~
なんて歌が今日も頭に鳴り響く(笑)。