ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

あいつらは勝手にやってろ! 俺は俺の楽しみを。

イメージ 1

ミケルソンのバカ行為。
その後、その行為に対するアメリカツアーの面々の感想が聴こえてきた。
正直、ミケルソンという男があれほど愚かな男と思ってはいなかったが、今や世界を代表する若手のツアープロであるアメリカのスピース、イギリスのマキロイがミケルソンの行為を肯定した意見を言うのを聞いて...「ああ、この連中の考えはそれが当たり前なんだ」と深く絶望している。

俺は30代半ばまで毛嫌いしていたゴルフに、仕事で止むを得ず関わることになった。
それが嫌々初めてみると「え? 聞いていたゲームとは違うんだ!」とショックを受けて、それ以来30年以上の間熱中してきた...仕事や遊びの大きな部分がゴルフというゲームに影響されてきた。
始めた当時に主に仕事をやっていた、山男ばっかりの硬派の出版社「山と渓谷社」にもそれを伝えると、その硬派の連中が俺と同じ反応をして大ゴルフブームが起きた。
その魅力は「あるがまま」「自己責任」「審判は自分」「迷ったら自分に不利に」という、ルールやマナーの根底に流れる、フェアで厳しい精神だったと思う。
「ゴルフってのは岩や山と同じなんだ」と口々に熱く語っていた、彼らの顔を思い出す。

つまり、ルールというのは「ついやってしまった結果」や「意図せずに起きてしまった結果」をフェアにするための基準であり、「はじめからそれを悪用して自分に有利に利用する」ということなんか想定してないし、そんな奴らはゴルフを楽しむ資格はない、というのがルールやマナー以前の「ゴルフの原則」であったと思う。
つまり、ミケルソンのように「わかってて破る」「前からやろうと思っていた」なんてヤローは、まずゴルフをする資格が無いと思うのだ。
ところがこの行為にスピースやマキロイは「あり」だと同意をした。
反対したのは「それは2ペナで終わらす問題じゃ無い」と言ったJ・デイくらいだ。

そこで考えてみると、世界のツアーに参加しているプロゴルファーの大部分は外見は立派なゴルファーに見えても、子供の頃から大金を稼ぐ「プロ」になる為に金をかけ時間をかけて伸し上がって来た、「職業・賞金稼ぎ」達なのだ。
強くなって金を稼ぐためには、利用できるルールはとことん利用する...「アマチュアじゃ無いんだから、誤魔化せるルールは誤魔化す」のが当たり前で、そこには「職業」として弱肉強食の論理しかない。
つまり、ミケルソンのやったことを職業としての「損得問題」でしか判断しないのだ。

阿呆らし...
こういった職業・賞金稼ぎ達のゴルフを、まるでゴルファーたちの頂点の試合のように興奮して、騒いで、共感して、応援して、なんて。
彼らの職業ゴルフは、俺たちの楽しむゴルフとは別な世界...根本的なゲームへの考え方が違う「賞金分捕りショー」なのだ。
彼らが常に考えるのは、自分に有利になるようなルールの使い方だけ。

すっかり、ツアーへの興味は消えてしまった。
絶望というより、馬鹿馬鹿しいと心底思った。
あいつらは、ウォルター・へーゲンの時代に一段下に見られていたプロの姿と変わっていなかったのだ。
もちろん俺はプロを見下す「上流階級」の者なんかじゃないけれど、プロ達の卑しい行為は卑しいと感じる貧乏ゴルファーだ。
少なくとも精神だけは、「ゴルファー」のつもり。

もう、あいつらのトーナメントは見る事は無いだろう。

明日は自分の楽しみのラウンドに行く
貴重な梅雨の間の晴れ間、海が見たいと「小名浜シーサイド」まで。
もちろんヒッコリーに糸巻きで、腐ったプロたちのゴルフを忘れて、当たり損ねの繰り返しを楽しむつもり。
100打ったって楽しいし、ボールを海に落としたりするのもまたいいだろう。
もちろん、ルールを悪用したり破ったりしてスコアを改ざんなんかしやしない。

...ああ、スコアを付けないからピンを挿したまま打ったり、外れたパットのボールを動いているのに打つかもなあ...後ろが詰まっていたりしたら。
2罰打はつけないで、次で入れたつもりにしてね(ミケルソンとは一緒にするなよ)。