ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

さよなら「夢のキャンピングカー」

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いくら抵抗しても、車検の時期が来れば手放さなくてはならなかったディーゼル規制。

燃料効率の良い、より省資源なはずのディーゼルエンジン車への、(自動車業界・石油業界の利益を優先した)使用者だけに犠牲を強いる攻撃は、これで大儲けをしようとしている何者かの悪意が見えて腹が立ち不愉快きわまりないものだった。
そして、「ディーゼルの排ガスをクリーンに」の大義名分の前に、怒りの持って行きどころがなく、ただ「もう二度とディーゼル車なんかに乗るものか!」、という思いしか残らなかった。


車を買おうという人には2種類の人が居ると思う。
それはいわば、その人の生き様とか人生の過ごし方に共通するものだと感じる。

一つは、スポーツカーや、高価なドイツ車や、ヨーロッパ車、アメ車などの「走り」と「見栄」を楽しもうという人々。
手に入れた車は、自分の憧れの姿の実現であり、現実の自分から遊離した別な「カッコいい」自分になるための鎧兜...いわばガンダムやロボットを操縦する子供の頃から夢の実現だ。
こうした人は、いつも自分の車を良く手入れし、晴れ着を着るような気持ちで車に乗る。

もう一つは、車を単なる道具と見る人。
走れれば良いという人から、家族が移動するためにとバンやワンボックスワゴンを選んだり、寝られればもっと良いとキャンピングカーを選んだりする。
走りそのものより、それ以外の目的に合っていれば、走行性能はそれほど気にしない。
外観とかはあまり気にしない。

実際、乗っている車を見れば、その人が自分と話が合うか、価値観が近いかは判断出来る。
勿論2台も3台も持っている人は良くわからないが、普通は車という高額なものを買う時にはその人の価値観が出るものだし、その人の志向や人生の目標まで判ってしまうものだ。

まあ、それが違うからと言って馬鹿にしたり羨望の気持ちを持つことは必要ないが、根本で価値観が違うだろうという予測をして付き合うことは出来る。
これは後で余計なトラブルになることを防ぐことにもつながる。

自分の話に戻ると、結局車は売るにも売れず、作ってもらったセキソーボディーで引き取ってもらって、代わりに(もう金が無いので)試乗用の中古の展示車両を安く売ってもらうことになった。
それこそなけなしの最後の貯金で買ったのが、今も乗っている小型のキャンピングカー。

勿論ガソリンエンジンで、ホンダのステップワゴンベースのキャンピングカー。
就寝定員3人を4人に改造してもらって今も乗っている。
以前の車に比べればとんでもなく狭いけれど、もう大人になって仕事に就いている二人の娘が一緒に乗ることはあまりなく、夫婦二人ならこんなものかな、と思っている。

家族が一緒に旅行したりキャンプしたり出来る、最後の十年をあのキャンピングカーで過ごせたことは今も後悔していない。

...貯金もなんにもないけれど、小さなキャンピングカーでいつでも旅に行ける(勿論貧乏旅行ね)自由は、今もこの手にしっかり掴んでいるし。