ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

ディーゼル規制

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ある日、テレビのニュースでその映像は流れた。

いろいろと目立つことの好きな東京都の知事という男が、記者会見の場で記者に向かって小さなガラス容器に入った黒い粒子をバラまいた。
「キャッ」とか「わあっ!」とか言う記者達の声の後、「トラックはこんなものをバラまいているんだ」と言う。
このトラックのディーゼルエンジンから出る、「PM・NOx」を規制するというディーゼル規制がこの時から始まった。

確かに自分でも大型トラックの後ろを走ると、黒煙とともに臭い排ガスの匂いが車内に入って来て、抜ける所であればトラックの前に出たいということは良くあった。
特に整備不良とも思える古いトラックなんかの後では、前が見えなくなる程の黒煙あるいは白煙で窒息するような気持ちになることもあった。

しかし、当時の排ガス規制をクリアしたトラックであれば、それほど酷い排出物が出ることはなかったと思うのだけど。
...何よりも首都近辺の殆どのトラックが走れなくなるような規制は、他に意味があるのではないか、と感じられる程厳しいものだった。
この規制には、荷物輸送のトラック以外に元が1ナンバー4ナンバーの「トラックベースの8ナンバー」も入っていて、キャンピングカーも含まれていた。

キャンピングカーのメーカーや、キャンピングカーのオーナー達が集まって対策を調べたが、当時のキャンピングカーに乗っている人たちの数は少なく、とても大きな声にはならなかった。
いろいろと調べて行くうちに、ヨーロッパなどではガソリン車よりむしろディーゼル車の方が、資源の浪費を防ぎ環境にも易しいと言われていることが判る。
何故日本のディーゼルエンジンは世界的にも評判が良いのに、国内でこうした規制が必要な程排出物に問題が出るのか...原因は軽油に含まれる硫黄分の量だった。
ヨーロッパの軽油の方が硫黄分が遥かに少ないために、排出物が日本の軽油よりずっとクリーンなのだ。
それで、日本の軽油の硫黄分をヨーロッパ並みにすれば、ディーゼル規制の排出基準値をクリアー出来るはずだから、硫黄分の少ない軽油にしてくれと言う意見を出したが...

どこぞの力ある勢力にとっては、大手の石油会社の設備を変更して硫黄分を少なくするより、ディーゼルエンジンのトラックを乗れなくして買い替え需要を起こす方が遥かに魅力的な流れだったらしい。
おまけに、トラックの黒煙や白煙の匂いや排出物が嫌なのは多くの市民に共通した認識だったから、この流れは止まらなかった。

キャンピングカーを乗り続けるには、毎年100万以上の金を出して「触媒」を取り付けるしかなかった...おまけにそれを付けるとエンジンのパワーは足りなくなり、それでなくても自然渋滞の元になりやすいキャンピングカーでは、普通の流れに乗った走行は無理となってしまう。
経済的にも実際の使用の面でも、どう計算しても乗り続けるのは不可能だった。

ずっと乗ろうと言っていた「最後の車・キャンピングカー」は、6回目の車検は通してくれない...車検場から出さない、と宣言された。
ディーゼル規制で大騒ぎだったために、あれだけ高価だったキャンピングカーも二束三文でしか売れず、結局作ってもらったセキソーボディーに引き取ってもらうしかなかった。
車がなくては困る生活のために、いろいろと相談して次の車は決まったが...

それにしても、この規制が(キャンピングカーにとって)インチキだと感じるのは、この規制が外国製のトラックベースのキャンピングカーには適用されなかったこと。
アメリカ製・韓国製・ヨーロッパ製の、日本車より遥かに排出規制値の悪いトラックがセーフだったのだ。
始めにベース車を決める時に、安い韓国製、パワーのあるアメリカ製、洒落たヨーロッパ製、それに信頼性がありクリーンな日本製...と世界のトラックを比べて日本車を選んだのに、その一番クリーンだった日本車が乗れなくなって、数値が遥かに悪い外国製トラックベースのキャンピングカーはまだ走っている。
単純な力関係なんだろう。
外国車を規制に入れると外交問題になるのを恐れたからだと聞いた。

という訳で、夢のキャンピングカー生活は10年12万キロで終わった。
そして、娘達も仕事に就いて、今までのような長期の夏休みなんてとれない...長かった家族旅行の季節も終わることとなった。