ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

コースからスコアだけを持ち帰る者に、友人はできない。

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「コースからスコアだけを持ち帰る者に、友人はできない。」・・・赤星四郎。

赤星四郎は赤星財閥に生まれ、贅沢なアメリカ留学でゴルフに接し、腕を上げた。
帰国した後、弟六郎とともに日本のゴルフ草創期の礎を築いた。
昭和15年には日本アマで優勝している。
コース設計家としても有名。

日本ゴルフ界の草創期をリードした人物の言葉だが、そういう人がこの言葉を残しているのが面白い。
いわば、始めから「スコア以外のもの」の重要性を説いているのだから。

今はゴルフをする人の9割以上の人の一番の話題は「自分のスコア」だろう。
「いくつで回ったか」
「百を切れたか」
「90を切れたか」
「80を切れたか」
あるいは
「ベストスコアが...」
「アベレージスコアが...」

「ゴルフの話題」なんて言うと、今ではそれが当然のようになっているが、ゴルフというゲームでスコアが重要な話題として語られるようになったのはそう古い話じゃない。
元々ゴルフというのはマッチプレーから始まったため、相手よりいくつアップしたか、ダウンしたかが大事だった。
いくつ叩こうが、一打でも少なければ勝ち。
実力が違うものとの戦いも、面白くさせるために「ハンデキャップ」というものが考えられ、誰でも勝負のスリルを楽しめるのがゴルフだった。

それが試合の参加者が多くなると、全部マッチプレーという訳にも行かなくなり、ストローク数で順位を決める形に変わって行った。
短い日にちでの賞金の取り合いには、そうしなければ無理だった。

しかし、我々のゴルフではあまりにスコアに執着しすぎるのはどうだろうか?
勿論、前のラウンドよりどのくらい上達したか、自分の実力はどんなものかを測るためにスコアを気にするのはやむを得ないが、スコアさえ良ければ後はどうでもいいなんて人が多くなってないだろうか?

そりゃあ、はじめて百を切ったとか、70台を出したとかで喜ぶのは判るが、案外良いスコアなんてものは運・不運に左右されて、偶々長いパットが入った、とか打ち損ねがピンについた、とか結果オーライが続いた時に出やすいもの。

そんな数字にこだわり過ぎて、折角の野遊びの一日をボールと地面しか見ないで過ごしたり、折角の同好のゴルファーとの触れあいを自分の気分で台無しにしたりじゃあ、あまりにもったいない。
...ムキになってスコアにこだわって、周りを不愉快にしたり自分の気持ちを荒ませたり、あるいは失敗をコースのせいにしたり同伴競技者のせいにしたりして...そんなゴルフで偶々出た良いスコアだって、客観的に見たら大したスコアじゃない。

スコアなんて上には上がいて、80台だろうが70台だろうが、「コースでの楽しみ」を犠牲にして威張る程の数字じゃ絶対にない。
昨日今日そんな数字を威張った所で、後で思い出せば、きっと恥ずかしさしか残らないはず。

赤星四郎なんて人がこういうことを言ったのは、本当は一般庶民にはゴルフなんて高嶺の花で手が出やしなかった時代の、ごく一部の上流階級の世界の話ではあるけれど...

「スコア乞食にはなるな...もっとゴルフ自体を楽しめ」、というのは我々の世界でも通じる「ゴルフをもっと楽しむため」の真理だろう。


さあ、久し振りのゴルフだ。
顔を上げよう、風を感じよう、季節を感じよう
ともに今日一日、一緒に旅する人との会話を楽しもう。
その上で、練習の成果が現れることを謙虚に願おうじゃないか。

ゴルフには、スコアよりも大事なものがある。