ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

リターン

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30過ぎた息子が、いきなり「オヤジ、ゴルフ教えてくれ!」と言って来た。

Mさんは、どう返事して良いものか、しばらく言葉が出なかった。
「オヤジ、昔ゴルフやってた頃シングルだったんだろ。」
「おふくろと喧嘩する迄、毎週2回くらいゴルフ行ってたよな。」
「オレが小さい頃、このタンスの上に優勝カップが沢山飾ってあったのを覚えているんだ。」

Mさんは、もう20年以上ゴルフを全くやってない。
確かに、20年以上前には3下だったし、それなりに名の知れたアマチュアゴルファーでもあった。
クラチャンも2回とったし、県アマでも予選通過は必ずしていた。
ゴルフに熱中するあまり、サラリーマンなのに週2回はゴルフに行き、有給は全部ゴルフのためにとり、クラブも常に最新のものをボーナス払いで買っていた。
そのうちに腕に自信のあるゴルフ仲間も増え、その付き合いでニギってゴルフをするのが普通になった。
レベルの高い勝負に興奮して、益々ゴルフに熱中していった。
...しかし、そうしているうちに仲間とのニギリも大きくなり、勝てば良いが負けると給料からボーナスから少なくない額を払う事が多くなった。
当然、少なくなる生活費に妻との諍いも多くなった。
どうしても足りなくなる生活費のために、妻はパートに行くようになった。

Mさんのゴルフのニギリはどんどん深みにはまり、殆どの生活費をゴルフに入れ込むようになり、妻との中は険悪になって行った。

そして、遂にある日、負けた金と次のゴルフの金を必要とするために、息子の学費の積み立て貯金に手を出してしまった。
...ニギリで勝って元に戻しておけば良い、と思った。
しかし、その勝負も自分の不運と相手のラッキーもあり、手酷く負けた。

それを知った妻は、もう我慢出来ないと離婚を口に出した。
それを見ていた一人息子も妻の側に付き、Mさんに決断を迫った。

「やめよう」
夢から冷めたような気持ちで、Mさんは思った。
実は、最後に負けたゴルフの時も、両方の肘と、肋骨と、首筋と、左の足首と、腰が痛いのを我慢してのゴルフだった。
そのゴルフも、スコアの勝ち負けだけを気にしての、体中の痛みをこらえ、暗く醜い気持ちで一杯の楽しくはないゴルフだった。
...Mさんは、妻と息子に土下座して謝り、ゴルフをやめる事を約束した。

クラブは全部売り払い、優勝カップも賞状も捨て、会員権も売り、「ゴルフ」を口にするのも避けるようにした。

息子もそれを覚えているので、今迄ゴルフをする事は無かった。
しかし30を過ぎて、勤めていた会社で少し昇進した事で、ゴルフをやらざるをえない事になったんだと言う。
その会社のコンペで、嫌々のプレーとはいえ、ブッチギリのビリで上司に怒られたのだと。
今迄息子の事を味方してくれた同僚の女性迄、さすがに呆れて付き合いを避けられるようになってしまったと...

Mさんは事情を聞いて、妻の了解を取った上で息子のためにゴルフを再開する事にした。
半年後に、相当上達した所を見せるためには、練習場だけでは無理なのでラウンドもしなければならない...Mさんの怪我は、腰や首の痛みは治ったが、両肘の痛みは治る事無く続いていた。
肘の軟骨が飛び出していて、手術する以外治らない(手術しても完治は五分五分だと言われた)ので、そのまま騙し騙しやる事にした。

そのために中古クラブ屋に行って、肘に負担の少ないレディースのクラブを揃えた。
息子のためにラウンド出来れば良いので、これで十分だった。

4ヶ月の練習で、運動神経のあまり無い息子も、なんとか100を切れる目安がついた、とMさんは思っている。
それで、残り2ヶ月はラウンドを2~3回する事にした。
息子は、素直にMさんのアドバイスやレッスンを聞いて、上手く行くと実に嬉しそうに笑う。
Mさんが息子のそんなに嬉しそうな笑顔を見たのは、初めてだった。
「考えてみれば、自分がゴルフに夢中になっていた時は、息子と遊んだ事も無かった...会話も殆どなかった。」

レディースクラブでラウンドしている最中、Mさんは今迄体験しなかったような気持ちでゴルフをしているのに気がついた。
...スコアに関係なく、ゴルフが楽しい。


「自分はゴルフにリターン(RETURN)したんじゃなくて、リボーン(REBORN)したんだな」...今は、そう感じている。