ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

カリフォルニアドリーミンの唄が聞こえる

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...懐かしい「カリフォルニアドリーミン」の歌が聞こえたような気がした。

Kさんにとって、ママス&パパスが歌った「カリフォルニアドリーミン」は「青春」の唄だった。
数十年前、多くの同時代の若者が、硬直しきった時代に「変化と革命」を望んで行動を起こした。
ビートルズがその雰囲気を飾り、ボブ・ディランPPMジョーン・バエズが時代を嘆き、歌っていた。

Kさんの友人も、過激に走ったり、ドロップアウトしたり...そんな方向に踏み切れない自分は、どうしようもなく取り残される感覚に焦っていた。
...そうしなければいけないのか? このままでいいのか?

そんな時に聞いた「カリフォルニアドリーミン」は、そんな自分にとって特別な歌だった。
歌詞は「こんな暗く寒い冬の日には、カリフォルニアの明るい空に憧れる..」なんて意味だったと思う。
が、Kさんにとっては、そんな歌詞の意味以上にこの曲に「青春の憧れ」そのもの...自分でも何か判らない、若い日の熱い「未来への憧れ」そのものが歌われているような気がしてしょうがなかった。
この曲を聴くたびに、いつも胸の奥に熱い「憧れ」の気持ちが湧いて来るのだ。

若い自分は、これから何にでもなれるかもしれない、が、何にもなれないかもしれない。
夢見て憧れている「何か」は、でも、きっと捉まえる事は出来ないだろう。
そんな気持ちがいっぱいになって、この明るい歌を聴くたびに泣きたい気持ちになったものだった。

あれから長い時間が経った。
人生は期待した程の事も無く、不安がっていた程の事も無く、日々流されまいという気持ちだけを残しながら余裕もなく過ぎて行った。
良くもなく悪くもないと感じていた男性と結婚し、結局普通の出来だが性格の悪くない子供に恵まれて、贅沢は出来ないがなんとか暮らせる生活を続けてきた。

そんな、午前中の家事の終わったお茶のみ時間、いつものようにテレビを見ていた。

その時、あの懐かしい「カリフォルニアドリーミン」が聞こえた気がしたのだ。
テレビには、青い海のそばの緑の美しいゴルフコースの映像が流れていた。
自分のいるところとは縁のない、違う世界なのに胸が痛くなるような感覚。
自分の世界が色褪せて行くような感覚。

いまの自分はゴルフとは全く縁のない生活なんだけど、何故ゴルフ?
夫もやらないし、周りの知り合いでもゴルフをやっている人は少ない。

...自分がゴルフを始める?

ゴルフコースが映っている間、「カリフォルニアドリーミン」は聞こえ続けていたけれど。
あの「青春の憧れ」の熱い気持ちは蘇って来たけれど。

いまの私は「こんな冬の日」なんだろうか?
あの緑濃いゴルフコースが「自分のカリフォルニア」なんだろうか?

Kさんは、もう一度ゆっくりとママス&パパスの「夢のカリフォルニア」(カリフォルニアドリーミン)を聞いてみようと思っている。