ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

ゴルフは科学ではなく芸術である

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「ゴルフは科学ではなく芸術である」...アーネスト・ジョーンズ。

アーネスト・ジョーンズは、戦争で片足を失いながらもゴルフの練習を初め、コースを72で回るようになり「Swinging into Golf」という本を出版したゴルファー。

「かってに解釈」だから書くんだけれど、ゴルフは芸術だろうか?
...現代のゴルフやゴルフスイングは「科学」で扱われている部分が殆どだろう。
いわく「合理的なスイング」、いわく「理にかなった動き」、いわく「人間の身体に無理をさせない動き」等々...
確かに、人間の身体の動きとクラブやボールの動きを分析して、「合理的」なスイングを見つけて練習をすれば進歩は速い。
研究熱心なゴルフコーチがいる学生ゴルフは、あっという間に皆同じような奇麗なスイングを身につけ、よく飛ばすようになり、わずかな時間でハンデ5下の腕になって行く。
そういう学生がアマチュアの試合を席巻し、やがてプロになって実績を残して行く。
プロの試合は、皆無駄のない機械的なスイングをするプロばかりになり、年齢の若い選手が中心になって優勝争いをするようになる。
テレビに映る選手は、服の色や体型や帽子で見分けられるだけ...スイングを見ても誰が誰だか判らない。
かくして、ゴルフは科学的なゴルフを実践して、機械的なスイングをするゴルファーの単なる競技会となって...

全然面白くなくなって行く。

以前の、体型の違いや体力の違いや、プレーしていたゴルフ場の違いや、収入のハンデを克服するためや、前にやっていたスポーツを生かすために...などで、独学で上達して行ったゴルファー達の個性溢れるスイングに比べて、まるで意志のないロボット達の競技会に見えてしまうのだ。

本当は、みんな科学的で合理的なスイングを身につければ、回り道をする事無く最短距離でゴルフが上達出来るのはよくわかっている。
でも自分は、悪戦苦闘して試行錯誤を繰り返し、遥か遠くを回り道しながらたどり着いた、個性溢れるスイングをするゴルファー達が好きなのだ。
特に、そんな風な背景が見えるようなスイングをするプロゴルファーを見つけると、つい自分を投影して応援してしまう。
そんなプロのスイングに、自分は磨き上げた「芸術」を感じてしまうし...

昔から、ゴルフのスイングは再現性が高いものが良い、と言われて来た。
だからその人にとって再現性の高いスイングならば、どんなに人から見て珍妙であってもその人の「アートとしてのスイング」は、「あり」だと思う。
ただ、絶対的な飛距離を求めようとすると、スイングというものは「科学」に頼らなければその人の最大値にはたどり着かないだろう。
「飛ばし」も入れた「個人の最大能力」を追求する「科学としてのゴルフ」か、「最大値」を追求しないで、「技」と「気持ち」と「再現性」で勝負する「芸術としてのゴルフ」か....

自分は、ゴルフに「科学」と「芸術」のどっちを優先させるのか...ちょっと悩ましい。
いまさら「科学的な合理的な」スイングには、改造出来ない様な気もするし(笑)。


(勿論、この言葉の「芸術」の中には、コース攻略や、ゴルフに対する接し方や、気持ちの有り様などの意味があると感じますが、「かってに解釈」としてスイングの話だけに限定して書きましたので..)