ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

あちら側とこちら側の話

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ゴルフを少しやっていると、薄々みんな感じてくることがあるだろう。
ゴルフの世界に、ほぼ9割の人がいるこちら側と1割に満たない人がいるあちら側。

簡単に言うと、日本ではほとんど相容れない二つの世界で「ゴルフ」というものがプレーされている。

「あちら側」とは、「ゴルフクラブ」や「カントリークラブ」で使われている「倶楽部」という名前そのものの、ゆとりある同好の「紳士」達が集まって作った閉鎖的なゴルフをする世界...名門と言われるゴルフ場の世界だ。

「こちら側」というのは、我々の世界。
ゴルフをする費用と時間をなんとかやりくりしながら、月に一度か二度のゴルフを楽しみにしている...パブリックだったり同好会だったり、あるいは「大衆コース」や「セミパブリック」と言われるようなコースに所属している人たちの世界。

この二つの世界は、本来まったく交わらない。
我々は原則的に名門コースでプレーは出来ない...そういう名門コースは、倶楽部員だけ(つまり普通の人たちに開放しないこと)しかプレー出来ないということこそが存在する理由なのだから。
ただ、例外として解放日を設けたり、会員の利用の少ないシーズンや曜日に高額のプレーフィーで一般の人にプレーさせてやっているところもある。

普通の一般のゴルファーは、そういうコースでプレーさせてもらえる時には、その「倶楽部」の「マナー」に従って失礼のないようにプレーしなければならない。
...大部分の人はプレーさせていただいた嬉しさと、何となく違う世界に来てしまった居心地の悪さを経験するだろう。

逆に、あちら側の世界の人がこちら側に来た時には、あちら側の態度とまったく同じ態度でプレーして、「ああ、やっぱり」とか「たまには良いけどね」とか「自分のコースがいいなあ」とか感じながらプレーしているんだと想像する(あっち側の人気持ちは判らないから)。

ルールは変わらない。
6インチだとか、前進ティーだとかのローカルルールは名門にあるのかどうかは知らない...想像するに、こんなのはゴルフの基本に反するルールだからマナーとルールを大事にする名門コースにはあるはずないだろう。

問題はマナーだ。
あちら側の人々は、仕事なり将来なり収入なりの問題で悩むようなことのない、裕福で社会的な立場もある、言わばエリートとか上流階級の人たち。
だから、代々のメンバーや親子達の上品なエピソードとか、コースとかレストランとか支配人や他のメンバー達との華やかな交流のエピソードなんかが、優雅で贅沢なゴルフのあり方として立派な本になったりする。

「ゴルフはこんな風に楽しむものだ」と。

...それはあっち側だけの話だ。


長くなったので、また次回。
(ピントがずれてしまったので表題変えました。)