ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

今日で今年も終わる訳だが...

 

今日で2022年が終わる。
今となってみると、まあ...予想外の事件の連発の一年だった。

不思議なのは、2月に始まったロシアのウクライナへの戦後最大の侵略戦争が、今では普通の当たり前の世界の情勢のようにニュースで流れている事。
長く日本の政治の中心にいた安倍元首相が7月に暗殺された「重大なテロ事件」が、すぐ後にカルト宗教の統一協会反日行動の数々が明らかにされた途端に影が薄くなってしまった事。
他にも、ワールドカップが、大谷が、北京5輪が...と、その時にはそれなりに騒がれた出来事が、あっという間に色褪せて古びた過去になって行くのを見ていると、我々が生きた「昭和」の時代に比べて、今現在の時の流れが凄まじく速くなって来ているんじゃ無いかと思う。

 

今年強く感じるのはいよいよ俺と同じ世代、一緒に生きてきて来た世代の人間がこの世を次々去っているというニュース。
...ちょっと思い入れのある人を書こうと思ったけど、多すぎてヤメ。
同じ時代を生きて来た人は、同じように年を取っているんだってことを、改めて感じている。

 

自分の今年初めの計画では、春の花粉シーズンが落ち着いてから「楽しめるうちに楽しんでおこう」と、暑くてたまらなくなるまでゴルフを楽しむつもりだった(何しろ、「対コロナ」としてゴルフほど人徒歩距離が取れて安全な遊びは無いというのが、世間の常識と認められたから。)
が、なんと「いよいよ」という5月になって、不整脈がだんだん酷くなって来た。

5年前にカテーテルアブレーション手術を受けて、ずっとそれなりに落ち着いて来たが、この1〜2年、短い期間だけど不整脈の発作が出てくるようになっていた。
発作が出る度に、「そんな時には」と頂いていた薬を飲んで落ち着けていたけど、発作が重なるにつれてその薬が効かなくなっていった。
5月には、そうした脈の乱れが何日も続くようになり、薬を飲んでも全く効かなくなり、ついには中原先生に相談した。
その結果、6月に再手術ということが決まった。
その手術法が、前回は患部を「点で焼く」形だったのが、今回はその手術の進化した形の「面で焼く」形...バルーンを使って患部を広い面積で焼く、という方法ですと。
前回の手術時と違って、見舞いも見送りも無く、支払いまで自分でやらなくてはならない状態は、コロナがどのくらい普通の人の生活を変えてしまったかを改めて感じさせた...患者も医者も看護士さん達も大変だ。
ただ、今回の手術は時間も短く、結果も前回よりずっと安定していて、今でも「脈の乱れ」はたまに「脈が飛ぶ」ことを感じる以外、全く不安は無い。

結構激しい運動をしても問題は無い、「じゃあ、そろそろゴルフを」...が、意外なことから、「次の問題」が現れた。
手術後、異常に暑い季節が終わりかけて、「そろそろゴルフを再開しよう」と参加したオープンコンペで、フェアウェイを歩いてグリーンまで上がるのに、息が苦しくて酷い酸欠状態になった...いくら息を吸っても肺に酸素が入って来ないような、窒息状態だ。
その直後に市立病院での検診があったので、ヘモグロビン値を見ると9しかない。
ネットで調べると明らかな貧血状態。
思い当たることがあって、初めて肛門科のある病院に行って見て貰ったら...採血して調べるとヘモグロビン値は8.8しかなく、医師曰く「これは普通の人だったら、救急車読んですぐに輸血しなくちゃいけないようなレベルだよ」と。
内視鏡で胃や大腸を調べて異常無く、俺が話した「排便時に痔が切れて出血する」のが原因と分かった。

「これは痛く無いしすぐ終わる」という医師の言葉を信じて、すぐに手術をお願いして9月に手術となった。
...しかし、実際には麻酔が効いてない状態での「クソ痛い」手術だった...が、その後は一応毎日増血剤を飲みながら、ヘモグロビン値の上昇を目指している。
現在は11くらいだから、もう一息...しかし、もう歩いていて息が切れるのを感じることは少なくなった...コースで上り坂を登っても、苦しいとは感じなくなった。

 

そして、さあ、これから!...と思ったら、思いもかけぬ「コロナ陽性」。
買い物と散歩とゴルフ以外は、全く人混みには出かけもしない生活で、一体どこで移されたのかが全く心当たり無し。
ただ、うちの奥さんは3年経過したとは言え、もし重症化したらすぐに命に関わるような体調・病歴なので、緊張しての対応を覚悟する。
ここでまた2週間近く自宅隔離の生活に入り、保健所からの援助や相談に助けられて、全く一歩も外に出ずに隔離生活終了。
症状としては熱が出たのは最初の二日で、最初は喉の痛みと37.5度の熱。
二日目の朝には38度となったので、熱冷ましと風邪薬を飲んで一日寝ていた。
それが三日目には熱がほぼ平熱に戻り、食欲もあったので二人ともそれ以上の悪化はなくて済んだ。
七日で「もう大丈夫です」という保健所の方の許可以上に10日間家に閉じこもって...無事自主隔離解除。
その後の後遺症も、咳が続く以外は別に無く、熱は無いし食欲はある。


なんか一年中こんな風な、「一つ山越しゃ ホンダラダホイホイ、越しても越してもホンダラダホイホイ」と言う状態で、ずっとバタバタしていたような気がする。

それでもせめて年間20ラウンドはしようと、12月から無理やり一人オープンゴルフ参加で「週一ゴルフ」を目指したが、結局4回ラウンドで終了。
もう世界は房総でもグリーンは凍り、素手の手の指は悴んで動かなくなり、体も寒さでまるで油ぎれの人形のように固まり、思ったように動いてはくれなくなった。

これからは、いくら天気予報で調べて暖かい日を狙ってゴルフをしようにも、凍った地面ではヒッコリークラブが折れてしまうので、もしやるなら以前使っていた壊れない現代クラブを使うしか無いだろう。

それでも真冬にゴルフをやるのかやらないのか...来年になったら考えてみよう。


予想外だらけ、ハプニングだらけだった2022年がもう直ぐ終わる。
こんな変態ブログに付き合ってくれた方々に心から感謝します。

生きていてゴルフができる状態である限り、まだしばらくのおつきあいを。

今年はどうもありがとうございました。

良いお年を。