ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

数え切れないほど重ねた誕生日

今日は、俺の誕生日。
拓郎が「年老いた男が 川面を見つめて 時の流れを 知る日が来るだろか」と歌ったり、NSPが「僕もきっと自分の歳を 数える時が来るだろな 頭の白髪が増えるのを気にする時が来るだろな」なんて歌った時には、彼らは本当に自分が年老いてそんな時間が来るなんて事を全然信じて無かったんだろうな...俺も当時はそう感じていたから、自分がそういう歌詞の年齢になって、しみじみ思う。
(拓郎も現役引退しちゃったし、NSPの天野滋はそんな時代を迎える事無く病で亡くなっているし。)

...手塚治虫が人の一生を描いた漫画では、男女とも35歳で中年と呼び、40歳ですっかりオジサンオバサン体系、50歳で頭はハゲて腰が曲がり、55歳ですっかり腰が曲がった年寄りが杖にすがっている。
ほんの少し前のことなのに、手塚治虫の時代には人が70年も生きるなんて考えられなかったんだろう。

俺自身だって10代の頃には、70歳を越えた爺さんなんてヨボヨボでフラフラで、何もすることが無くて、半分ボケて縁側で日向ぼっこしている、なんてイメージだった。

...ところがどうだ。

自分がその歳になってみると、気持ちはほとんど若い頃から進化してないし、そこには成熟も悟りも、長く生きてきた経験が作り上げたはずの叡智のカケラなんて全く無く、ただ衰えて壊れて行く体にひたすら戸惑っている自分がいる。
...もう若い頃のようにはやれないんだって事をいちいち理解して、「諦める事」を増やして行かなくてはいけないと言う事は薄々感じている。

なんて事を考えても、情念の乱れは落ち着かず、欲望は枯れず、見栄と空威張りと妄想が今日も全身を駆け巡る。
(ほんとに、「なんのこっちゃ」って自分で思うジジーになって、途方に暮れている。)

今日でまた一つ歳をとった。
もう父親が生きた人生の長さを3年も過ぎた訳だ。

なのに、仕事は普通にやっているし、ゴルフも楽しみたいし、旨い酒を飲みたいし、美味いものを食いたいし、魅力的な女性に出会ったら心動くような感受性も持ち続けたいとジタバタして暮らしている。

そして、オンボロ車と、オンボロ衣装と、オンボロ頭にオンボロ身体...俺は、ボロが似合うジジーになりたいと正直思っている(笑)。

それが、今の俺が感じている、ジジーの美学だから。


...さあて、のんびり行くべ。