ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

「ゴルフ」への疑問...1・ゴルフを始めた「きっかけ」が消えて行く

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Play the ball as it lies.
日本語で言われているのは、「あるがままで打て!」。

 

俺がゴルフというものに「触れる」きっかけは、ゴルフダイジェストでゴルフ関係のイラストを描き始めてから...愛宕の、ゴルフダイジェスト社近くにあった「山と渓谷社」の仕事を長く描き続けていた30代半ばの頃、偶然ダイジェスト社に就職していた知り合いのS氏にバッタリ会って、その紹介で全くゴルフに触れたことも無いのにゴルフイラストを描き始めた。

 

もとより俺なんぞの一族では「ゴルフ」なんて全く縁が無く、知識としてもテレビで流れる政治家やらの「緑の待合」のニュースで見た程度しか無かった。
そんな映像の「金持ちの年寄りが棒きれを振り回して、変な格好でボールを打っている」ものが魅力的に見えた訳は無く、「やってみたい」なんて気持ちには全くならなかった。

それが仕事としてゴルフイラストを描き続けているうちに、「ゴルフというゲームの基本の中の基本は、『あるがままに打て』という事だ」との一文に気を惹かれた。
調べてみると、「ゴルフっていうゲームは、1打目を打ち出した後はグリーンに乗るまでボールに絶対に手を触れてはならない」とある。
ティーアップする時と、グリーンに乗ってボールを拭く時にはボールに触って良いが、それ以外は全てそれを打った自分の責任で、「そのボールのあるがままに打たなくてはいけない」...

これには気を惹かれた。
過去のエピソードを調べてみると、自分の打ったボールが木にくっつこうと水に入ろうと、とんでも無い場所に行っても基本はそのまま打つんだとある。
中には瓶の中に入ったボールや、婦人のスカートの中に入ったボールや、箱やポケットや食べ物の間に入っちまったボールもあって、全てそれを無理やり打った話が笑い話で残されている。
もちろん、どうやっても打てない場合には「罰打」を払って、救済処置を受けることができるのだが...当時は基本誰かとのマッチプレーが中心だったので、「あいつに負けたくない」「百回に一回はうまく行く可能性がある」なんて考えて、あえて「無謀」に挑戦しただろう気持ちは理解出来た。
そんなエピソードの数々の底に流れていたのが「あるがままに打て」の精神だからこそ、そんな事が魅力的な話として後世に残ったんだろう。

 

どんなところに行ったって、それはそのボールを打った自分の責任。
素晴らしいショットが必ずしも素晴らしいライのところに行くとは限らず、最悪のショットでも案外打ち易いライに行ったりする。
そんな「不運」も「幸運」も、全ては「あるがままに打て」という大原則があるから、のゴルフの魅力、と俺は感じた。

 

そこには、騎士道・武士道に通じる美学があり、「武士は食わねど高楊枝」「精一杯の痩せ我慢」のその人なりの「誇り」や「プライド」がある。
フェアに見張っている審判のいないほとんど唯一の遊びであるから、インチキ・誤魔化し・嘘つきの誘惑はすぐ側にあり、その誘惑に勝つのは結構しんどい。
俺も何度かそんな誘惑に負けたことがあったけど、結局後で「たった1打や2打のために、こんなに恥ずかしい思いをするなんて」と眠れない夜に酷く後悔することになった...(「やせ我慢」の方がよっぽど良かった。)

 

そんなこんなで始まった俺の長い長いゴルフ病の、ずっと基本にあった「あるがままに打て」の大原則。

 

だから俺は「6インチプレース」は絶対にしないし、ノータッチが俺の意地だった。
もちろん、ヒッコリーゴルフでも、スコアをつけなくても、ローカルルールで認められていても、その姿勢は変えていなかった。

 

ただ、世間では「6インチプレース」はどこでもOKだし、一緒にラウンドする人のほとんどはボールを触り、動かし、動かさない俺に「どうして動かさないんですか?6インチありですよ。」なんて教えてくれたりする。

 

そんな俺のちっぽけな誇りのゴルフは、当然ゴルフの本場の英国やアメリカの古い名門コースでは常識だと思っていた。
全英オープン全米オープンが開かれるようなコースで、まさか「6インチプレース」をやってる訳ないだろう...って。

 

 

そうではなかった、という記事をseatakuさんのブログ「Never Up, Never In.」のラウンド記で知って...本当に驚いた。
理由は冬季の芝の生育が原因の「芝の保護」のためという事だが、全英オープンを開催するようなコースでも、この季節はフェアウェイに行った時には「自分用のマット」を使い、6インチも当然ある、というのだ。
まさに頭をガーンとぶん殴られた思い....俺の立っていた「ゴルフ」という世界が、足元から崩れて行く「カルチャーショック」と言うか「価値観の崩壊」と言うか...

 

実は今だに、自分にとっての「ゴルフ」をこれからどうするか決まっていない。
俺はこれから、俺にとってのゴルフ遊びを楽しめるんだろうか、がわからない。

 


「あるがままに打て」を捨てて、俺にゴルフという遊びが魅力的なものであり続けるんだろうか?

 


ちょっと考え続けてみるので

続く...