ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

クリスマスイブに思う事

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世間がクリスマスの音楽に溢れている時期に、いつも思う事がある。
コロナ騒ぎで人と人との距離がはるかに遠くなってしまったこんな時代でも、クリスマスから年末年始にはいつもと違った空気と時間が流れているような気がする。

俺自身にはクリスマスに特別な思い出なんかないんだけれど、五十年くらい前のこの時期にクリスマスに会うことを楽しみにていた恋人同士のお話が身近にあった。
「きっと君は来ない〜」なんてメロディーのCMそのままに、東京にいる彼女と大阪で働いている彼氏がクリスマスイブの東京駅で毎年デートをしていた...遠距離恋愛の二人は身長の高いハンサムな男と小さな可愛い女の子の組み合わせ...その頃流行っていた漫画の「チッチとサリー」とかいう登場人物そっくりだと、その女の子は嬉しそうに話していた。
その後二人は、無事ゴールイン...漫画ならこの辺りでハッピーエンドの話となって、単行本になるだろう。
そのあと二人は大阪で幸せな結婚生活をスタートさせて、女の子二人と男の子一人の幸せな家族の生活をすることになる。
男は、やがて会社を起こしてその経営者となり、それなりに豊かな生活をしていた...短い小説なら、これもハッピーエンディングの話で終わった筈。


この頃つくづく思うのは、自分がいつの間にか「自分でも驚くような年齢になってしまった」結果、そうしたストーリーの続編の結末まで「見る気が無いのに見てしまう事」になる哀しさ。
彼は...ハッピーエンディングの小説が終わった後、厚い厚い「人生」という大河小説の中での長い時間を、事業の失敗・離婚・一家離散・失意の帰郷・重病による入院という時間の流れを記す事になる。

そうして長い時間が過ぎて、やがてその人生の本当のエンディングを迎える。

...俺は、人生の友人を失って、途方にくれる。
...あいつも、こいつも、だ。

それから、もう一つ...俺の人生の旅の途中で心惹かれた「美しい女性」の時の流れの「結果」を見ることになってしまうのも、同じように自分が歳をとったことを自覚させらる。
己の若さゆえの「憧れ」と「妄想」に包まれて見えた魅力的な女性は、その後の彼女のリアルな人生によって、女神のようにも魔女のようにも激変してしまう。
そんな時間の流れの残酷さを、はっきりと見て知ってしまう事は、それなりに哀しい。

しょうがない...俺が鏡の中で、はっきりとジジーになっているんだから、彼女たちがその美しさを失っていたって当たり前なのだ...なのに、なんだかそうした女性は永遠に美しくあってほしい、なんて望んでいる自分がいる。
(そんな中で、うちの奥さんは誰よりもうまく年を取っているように感じる...だから、それはきっと俺のおかげだ、と内心でちょっと自慢してみる)


...毎年この時期に「きっと君は来ない〜」なんて曲が流れると、俺の頭の中には東京駅で嬉しそうに逢っているあの頃のあいつら二人が見える。

俺自身はそんなふうに楽しいクリスマスなんて、全く縁が無かったんだけど。

だから

...きっと、俺はそんなやつらが羨ましかったんだろうな。