ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

鉄と木の美しさ

イメージ 1


ゴルフには絶好のシーズンのはずなのに、良い天気の日が少なくてラウンドする機会が少ない。
10月というのは意外に毎年雨の日が多い。

...先日の漫画家コンペ以降は、自分の趣味の「ヒッコリーゴルフ」でずっと遊ぼうと思っていたのだが、ここのところ2ラウンド続けてヒッコリーゴルフでクラブが折れたことが、少々ショックになっている。
折れた原因としては、博士のウッドはヒッコリーシャフトが博士の想像よりずっと乾燥し過ぎていて、折れて当然なくらいに脆くなっていたのだとか。
アイアンは、折れた断面を見ると以前から外から見えないネックの部分にヒビが入っていて、遅かれ早かれ折れる運命にあったのだと思われた。

しかし、気持ちよく当たった瞬間に変な音ともにヘッドが「スカン」と軽くなる手応えはなんとも気持ちが悪い。
ボールと一緒にヘッドが飛んでいく光景も、あまり見たくはないものだ。

アイアンのヘッドは金属製ということもあり、百年経ってもまだまだずっと使える「モノ」なのだが、ヒッコリーのシャフトやウッドヘッドのパーシモンなどは、素材が「木材」として長い年月に必ず劣化してしまい、やがては「折れる」宿命を全クラブが背負っている。

だから「たかが練習」でその寿命を縮めることもしたくないから、ラウンドしない時には無駄打ちせずにこの古いクラブ達を撫で触って愛でている。
しかし、「コーヒーを飲みながら古いクラブをニヤニヤしながら撫で触っている」なんて、これはやっぱり俺は「変態ゴルファー」だってことを認めなくちゃいけないだろうな(笑)。

それにしても、この百年も前の鍛冶屋たちが生み出した「鉄」は美しい。
百年の時が付けた錆を、俺が今のバンカーやショットの砂で磨きあげると、その輝きの艶めかしさは(俺には)宝石よりも美しい。
このアイアンクラブのヘッドは、製造当時から「生純鉄」と「ステンレス」と「鉄にメッキ」のそれぞれ違った製法のものがあったようだが、俺の糸巻きボールを打った感触では、生純鉄のヘッドのものが別次元の素晴らしい感触の打感を伝えてくれる。
メッキで覆ったものは、笑い話みたいだがメッキのハゲている部分で打てば生純鉄と同じような気持ち良さをなんとか感じられる。
そして、自分で使いたくないのはステンレスのもの。
製造当時はバックフェースに「RUSTLESS」とか必ず彫られていて、普通の鉄のものよりかなり高価だったと聞く。
確かに、いまだにピカピカ光って錆はなく綺麗なものだが、俺にとっては普通のショットでもアプローチでも打感は鉄製のものとは比べ物にならない代物(これは個人の感想で、ステンレス製の方が感触が良いという人も必ず居ると思う)。

そしてそれをつないでいるヒッコリーのシャフトの、時に磨き上げられた艶もまた素晴らしく美しい。
別に磨いたりはしなくても年月がつけてくれた艶が、何とも美しい。

ヒッコリーでのショットやその他の技術にも、独自の方法があるのは最近分かってきた。
この美しいクラブ達を使って、「スコア」では無い「ボールを打つ楽しさ」のレポートを、この先は伝えていきたいと思う。
もちろんこうしたクラブを手に入れることが一般的ではなく、その遊びもゴルファーのほんの一部の人にしか興味が持てないものだということは承知した上での話。

近い将来そうした状況が変わるかもしれない、という情報もあるし。