ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

記憶の彼方に

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少し前に廃業したゴルフ場が増えている事を書いた。
開場する時には華やかなセレモニーでスタートしたゴルフ場も、廃業する時には本当に静かに「いつの間にか」という感じで消えて行く。

その廃業したゴルフコースの中に田人カントリークラブと言うコースがある。
このコースは茨城県と言っても殆ど福島に近く、特にどこが素晴らしいと言う評価も聞かず、とうとう行く機会も無いうちに廃業してしまったコース...そんなコースがどうして記憶に残っているかと言えば、まだゴルフを初めて間もない頃に聞いたエピソードが忘れられないからだ。

30半ばで、ゴルフ雑誌の仕事を受けたために嫌々始めたゴルフも、始めて見ればこんなに面白いものは無いと熱中した...3年もしないうちにオフィシャルハンデもシングルになって、編集部のコンペではパープレー前後でまわれるようになって、週刊の関係者では一番上手いと言われ出していた。
そのゴルフの仕事は、以前広告代理店で知り合った人が週刊のゴルフ雑誌の編集部にいた為に紹介されて貰った仕事で、毎週毎週いくつもの仕事を頼まれて、時には編集部にカン詰めになって描いたりもしていた。
その出版社は週刊誌の他に月刊誌や季刊誌も出していた。
同じ出版社でありながら、週刊と月刊ではライバル関係みたいなものがあり、自分は週刊誌で毎週数多くのイラストを描いていたのに月刊誌では殆ど仕事はしていなかった。
その当時の月刊誌の編集長がMさんで、大学時代からゴルフをやっていたとかで多分この出版社で一番うまいと言われていた。

少し経って月刊誌でも何度かはカットの仕事を受けたが、殆ど仕事をしてないのでMさんとは会っても挨拶をするくらいで個人的な話はした事が無かった...が、自分にゴルフが上手いという評判が立つと、すれ違う時に「今度ゴルフ一緒にしようよ」なんて声をかけられる事が多くなった。
自分も一度勝負したいなんて気持ちを持ち出した時に...Mさんが急死した。
体調を崩してから1週間くらいであっという間に...まだ40代で元気一杯に見えたMさんの死はショックだった。

個人的な付き合いが無かったので、以下は他人から聞いた伝聞なので正確なものかどうか判らないが、自分の記憶に残る話として描こうと思う。

彼は田人カントリー倶楽部のメンバーだった。
なぜ彼がそこのメンバーになったかは知らないが、そのコースでも有力なゴルファーでクラチャンを狙う程の本格的なトップアマであった、と。
聞いたのはクラチャンのマッチプレーの決勝戦、まれに見る白熱した勝負だったという。
残念ながら天気が悪く、雨中の決戦となったマッチプレーはエキストラホールにまで突入したらしい。
そのまる一日をかけた熱闘の果て、Mさんは惜しくも敗退した。
そして、家に帰宅した時にはすっかり疲れ果ててそのまま寝込んでしまったという。
疲れの為か雨の中で体調を壊した為か、Mさんは寝込んだまま体調が回復出来ずに衰弱してしまったらしい。
そして誰もが驚く程あっけなく、元気だったMさんは亡くなってしまった、と。
直接的には、何が原因だったのかは聞いてもよくわからなかった。
ただ噂で聞くしかなかった自分には、彼がそのマッチプレーで命を削る程の勝負をしていたんだな..なんて勝手に想像していた。

行っておけば良かった、と今更ながら思う。
...田人カントリークラブとはどんなコースだったんだろう。
もう少し時間があったら、Mさんとそこで勝負のゴルフが出来たかも知れないのに。
今となっては、彼のゴルフがどんなものだったか、彼はあのコースでどんなゴルフ人生を過ごしたのか...全て人づての噂話でしか知らない事ばかり。

「今度勝負しよう」...自分がゴルフを夢中でやっていた頃、色々な人にそう言われた。
そう言われたまま終わってしまった話...もう二度とそういう機会が無くなった人の話がいくつもあるのが、今は残念でしょうがない。