ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

アプローチの名手はリストを使わない

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「アプローチの名手は、絶対にリストを使わないものだ」...フランシス・ウィメット。

前回に続いて、生涯をアマで通した全米オープン覇者のフランシス・ウィメットの言葉だ。

アプローチは、パットと並んで精神状態が影響するショットだ。
それというのも、ドライバーにしろアイアンショットにしろ、苦手意識から上手く打てなくなる事はよくあるものだが、いずれもいざとなれば目をつぶって力の限り振り回せばなんとかゲームを進める事が出来る。
精神的なプレッシャーを、力で抑える事が出来るのだ。

しかし、パットやアプローチはそうはいかない。
「力を加減」できなければ、永遠にゲームが終わらなくなる。
振り回してボールを引っ叩けばいい他のショットと違って、微妙な力の強弱を自分で制御して行かなければならない...それは、「失敗すれば」見栄や外聞や絶望や失意や嘲笑や軽蔑などの感情の中に自分が落ち込む事を想像して、我と我が身にプレッシャーをかけるプレーでもある。

アプローチショットという、短い距離でありながら毎回異なった状態のライからのプレーは、月に一度か二度しかコースに出られないゴルファーにとっては、本当はいつも「初体験」に等しい難しいショットとなる。
...テレビで見るプロのように、上手く行く訳が無いのだ。

なのに、そのショットの失敗はもろにスコアに影響し、「わずかな距離のミス」というだけで、深く心に傷を残し...その失敗の記憶は消えずに心に積み重ねられて行く。
そうした記憶が次のアプローチの時に、また強いプレッシャーを呼び起こし、ますます「もっと微妙なタッチを」と体に要求する。

そうしてアプローチというだけで、プレッシャーで体がグルグル巻きに縛り付けられ、頭の命令通りに体が動いてくれそうもない...
もし次のラウンドで、自分のそんな状態を感じたら、このフランシス・ウィメットの言葉を思いだそう。

例えば、テレビで見た「ミケルソンの柔らかいアプローチ」なんか忘れる。
フワッと飛んでピンのそばでギュッと止まる、なんてシーンを忘れる。

かわりに思いだすのは、地味に転がすアプローチ。
野越え山越え、ひたすら転がって行くイメージ。
なんなら、あの全英オープンのアプローチでいい。

ポイントはリストを使わない...手首を固定するイメージ。
「右手の手首の角度を変えない」...あるいは「左手の角度を変えない」でもいい。
肩からの振り子でも、体のターンでもかまわない...左腕とシャフトが1本の棒のイメージでもいい。
とにかく手首を使わないでアプローチする。
少し上げたかったらクラブを変える。
バンカー越えでもピンに寄せようなんて思わないで、クラブを変えて同じ打ち方。

そんな事から、それぞれが掴むものが出てくるだろう。
実際に「一番寄せやすいクラブ」は、それぞれ違って当たり前。
他人の常識に影響される事は無い。

ただ、スコアを気にせず、アプローチに特別のプレッシャーがないんだったら、失敗なんて全く気にせずミケルソン流のアプローチをしようとする事も、それぞれの自由...始めから諦める事は無い。
たまに、「絶対にプロでも寄らない」なんて場所から、凄いロブショットを決めたりするのもゴルフの楽しさでゴルフの魅力だ(ただし、失敗しても後悔しない事)。

案外、アプローチショットだからって特別な打ち方しない方が良い人だっているかもしれないし、常識にとらわれない発想の寄せだって面白い。
以前タイガーなんかがよく使った「アプローチでFW」なんてのだってある訳だし。

それでも、まず「アプローチの基本はリストを使わない」から始めて見る価値はある。