ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

「ゴルフの楽しみ方」の(個人的)考察

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「ゴルフ」というもの、中高年以上の人には始めるのに非常に敷居の高かった「遊び」だろう。
自分の場合も、実際にコースに出てみる迄は「絶対にやることはない」遊びの代表だった。

今から30年近く前、ゴルフをやっている人は「人として」なりたくない人間の代表であった。
もちろん、始めてみるとこれは誤解だったし、ゴルフというゲームそのものをも全く誤解していたことが判った。
まあ、「もっと早く始めていれば良かった」の後悔も、実際には経済的な事情で無理だったんだけど。

ゴルフを始めると、まず「戦い」としての面白さにハマる。
毎回いくつスコアを減らせるか、の戦い。
ハンデをいかにして早く少なくするか、の戦い。
そして、知り合いと握って、いくつ少ないスコアで回るかの戦い。
スコアという「数字」の戦いだ。

もちろんほかのスポーツと同様、努力し打ち込めば(ある程度迄)報われる。
しかし、99パーセントの人はこの戦いには勝てずに敗れ去る。
なぜなら、70台でまわろうと、パープレーで回ろうと、少しくらいアンダーで回ろうと、常に「上には上がいる」戦いになることに気がつくからだ。
勲章として、いろいろな競技で優勝したり、クラチャンになったり、どこかの代表になったりすることは出来る。
が、それさえ、さらに上のレベルがあり、さらにトップアマ、プロの世界があり、世界レベルのツアーがある。
実力差は、冷酷に数字で示され、ほぼ全員が敗れ去る。
マチュア時代、「神」のように上手いとみえたゴルファーがプロになって、1勝も出来ずに金も稼げずに消える。
日本を代表するプロも、海外の試合では予選も通らない...スコアの数字だけを見つめていると、やがてそんなことに気がついて絶望的になる...可能性があるのは、自分の子供や孫の世代だけなんだと。

そんな時にふと空を見上げれば青空がある。
周りを見渡せば、季節感に溢れた緑の世界が広がる...そんな気持ちになったら、スコアの呪縛から逃れて、自分のゴルフの楽しみを探すターニングポイントだ。
スコア以外のゴルフの喜びをそれぞれが探して楽しむ。
ある人は、飛ばすこと。
ある人は、アイアンの感触。
ある人は、クラシッククラブの楽しみ。
ある人は、トラブルショットへの挑戦。

みんながそれぞれの「こだわり」を見つけて、それぞれの「ゴルフ」を楽しめれば、スコアはその時に自分が目標にする数字でいい。

そんな風にゴルフと触れ合って楽しんで行くと、古人が「ゴルフは人生だ」と伝えて来た理由が理解出来る気がしてくる。
一ホール一ホールが「旅」であり、9ホール9ホールが「旅」であり、18ホールが「long way home」の「旅」として楽しめるようになる。
日本のように四季折々に風景が変わる所では、毎回違った季節の中を旅して行ける。
人の手の入った「自然」とはいえ、普通の生活ではあまり感じられない時の流れを感じられる。

ゴルフは、「競技」中心の若者の間では「飛ばし」と「パット」の結果の「数字のゲーム」だが、我々中高年にとっては「その過程」を楽しむ「旅のゲーム」であると思う。
若者が競技でやる「ゴルフ」と、我々が楽しむ「ゴルフ」は全然違う。
「ゴルフ」は大人のゲームであるが、「ゴルフ競技」は若者のゲームなのだ。

もちろん「旅のゲーム」だからと言って、ボールに触ったり、スロープレーなんぞはもってのほか。
ゴルフは周りに迷惑をかけず、基本的なルールとマナーを守るから、「大人のゲーム」なんだから。