ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

楽しみましょう!

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祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり...」
「ゆく河の流れは絶えずして しかももとの水にあらず...」

そんな言葉は、誰もが知っているだろう。
日本人の心の奥底には、八百万の神々信仰(精霊信仰とでも言うのだろうか)とか、自然の移ろいとともに変化して行く無常観が昔からあるのだと思う。
今回の大震災で、そういう民族の持つ無常観のようなものが改めて認識されたように感じている。

...昨日の続きが今日で、今日の続きが明日になる。
世界は変わらずにずっと続いて行くもの...なんて事を当たり前に思っていたのが、大震災と津波原発事故によって一挙に覆されてしまったようだ。
しかし一方では、「こんなこともきっとある」とどこかで感じていたのが日本人ではないだろうか。
自分たちは過去のいろいろな人が書き残した言葉に、そうした覚悟や諦念のようなものが繰り返し記されていて、それを折に触れて読んで学習してきたような気がする。

そして、ゴルフ。
自分が実際にやってみる迄は、これほど嫌われているスポーツもないのではないか。
ハードではない。
やたら種類の多い道具が、それぞれ結構高くて揃えるのも大変。
妙な格好して気取った会話して、マナーだとかルールだとか訳の判らない伝統だとか、面倒くさい。
一日がかりで時間を使い高い金がかかる。
自然を破壊してゴルフコースなんてものをわざわざ作り、大の大人が何百メートルも先の穴ぼこに何回で入れるか競い合う。
やらない人は、そんな風に思っている。
...やってみると違う。
整備されたとはいえ、自然のもとで頭と身体を使って旅をして行く。
それはちょうど山登りと似ていて、スタート地点から目的の山頂迄、その日の自然の状態と自分の体調と技術を考え、ルートを決めて攻めて行く。
しかもそれは、条件が無限にある自然が相手。
必ず予期せぬトラブルや、アクシデント、判断ミス、技術的ミスが出る。
それを最大限の自分の知力と体力を使って、対処し、耐えて先に進んで行く。
ゴルフでは一打一打全てのショットの条件が違う。
ボールの一転がり、木の葉一枚、草1本、土塊一つで困難な状況にもなり、修復不能のトラブルにもなるし、誰かに感謝したいような状況にもなる。
それこそ「一期一会」。
ゴルフは全てのワンプレーが「一期一会」のプレーとなるのだ。

だから面白い。
日本人の持つ無常観で共感できるゲーム。
道具は一度揃えれば、何とかなる(中古でもいいんだし)。
プレーフィーも安くなった。
ルールも(とりあえず)「大体自分に不利に判定すれば、なんとなる」。
マナーも「ほかのプレーヤーの迷惑にならない」事を心がけていればいい。

明日のことは判らない。
そんな世界だからこそ、プレー出来た時にはもっと楽しもう、ゴルフを。
こんな時代にゴルフを楽しむことに罪悪感を持つことはない。
ゴルフが出来ることに感謝して、ゴルフに出会えたことを感謝して、一打一打を大切に。
そして、震災の被害にあった人達が一日も早く、再びゴルフを楽しめる時代が来ることを願って。

(ただ、プレーの途中でボールに触る人にとっては、ゴルフは「一期一会」のゲームではないので、関係ない話。)