ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

こんな事が・・・

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その時は、九州鹿児島で古い友人を外出許可を取って連れ出していた。
その友人の幼なじみと言う、養鶏をやっている人の所にいた。
急に奥さんが「今関東の方で大地震があったみたい!」と駆け込んで来た。

驚いてニュースを聞こうとするが、山の中の養鶏場のために上手く行かない。
急いで(外出許可時間も一杯だったために)病院に戻り、ともかく鹿児島に戻って情報を確かめる。
すぐにでも帰りたいが飛行機も飛ばず、電車も動いてないというのでビジネスホテルで一泊して、情報を集める。

携帯はつながらず、メールが時々通じる状態。
夜になって、一人暮らしの上の娘は、電車が動いていないのでアパート迄の数十キロを歩いて帰る途中だと判る。
下の娘は都内で、全く電車が動いてないので会社が帰宅禁止令を出していて、会社で待機中だと判る。
とりあえず、家族全員と連絡がついてほっとした。
その後深夜にかけて気になる親族の様子が次々分かり、とりあえず行方不明やけが人がいない事が判った。

最悪のケースはなんとか避けられたが、自分の家は震度6弱...
元々河川のそばの軟弱地盤は判って購入した家(そのために安かった)だから、この震度ではとても無事では済むまい、と覚悟した。
遠い九州にいるために、その辺の様子が全く分からないのが不安で、眠れない夜を過ごす。
朝方会社待機だった下の娘が、動いている電車を乗り継いで10キロ以上離れた駅迄行き、そこから歩いて帰宅中と連絡が入る。
数時間後、「家はつぶれていないけど、玄関から入れない」との連絡。
それでも家の中に入って、「なんとか大丈夫そうなので、昨日から寝ていないので少し寝る」とメールが入る。

昨日はなるべく早い飛行機で帰ろうと、キャンセル待ちのために早く飛行場に行き、午後3時過ぎの便を都合してもらい帰る事が出来た。
慌てて帰り着いた家は、玄関は飾ってあった絵や鏡や花瓶が皆落ちて、ガラスの破片やらなにやらで足の踏み場もない。
とりあえずそこを片付け、いろいろと落ちているものを整理して、自分の仕事部屋...
本当に本で埋まっていた。
本箱が倒れて本が四方八方から落ちていて、入れない。
心配だったパソコンをみると、不安定な場所に置いていた2台のパソコンとモニターは奇跡的に台から落ちていない!
仕事に絶対必要なために、心配だったものだが...なんとか使える。

今日は朝から部屋を整理し、こうしてモニターに向かっている。

...昨夜からずっとテレビで見ている東北から関東北部の惨状は、心のどこかで「いつか起きるかもしれない」とは思っていた「大地震」のイメージを遥かに越える地獄図を見せている。
CGを駆使した数々の大災害の映画が、「現実」の前ではいかに「奇麗ごと」であったか...

新聞やテレビの発表している数とは、一桁も二桁も違う数の犠牲が出ているだろう。
11日の前と、11日の後と...人生がこんな不条理な形で終わる事を、どれだけたくさんの人々が嘆き怒った事だろう...

「1000年に一度」、が今起こってしまったんだという。
死んでしまった人と、生き残った人...分けたのは偶々...それだけだろう、言えるのは。

この地獄から、どれだけの時間がかかるんだろう、自分の生活を取り戻すのに。

どこでも、被災の現実を淡々と語る「普通の日本人」を誇りに思うと同時に、ただ言葉もなく頭を下げ手を合わせ、復興のために出来るだけの協力を惜しまないという事を、今自分の気持ちに深く収めておく。

このブログを見ている方々に、被害が少なくあって欲しいと、切に、切に、祈ります。