ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

忘れられないプロゴルファー...39「岡本綾子」

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岡本綾子...1951年4月2日、広島生まれ。

日本で最初の海外で「世界基準で戦ったアスリート」。
彼女の後に、野茂が出て、中田が出て、イチローが松井が...と道は出来ていった。

彼女が登場する前までは、女子プロゴルフ界はキャディー出身のプロが殆どだった。
そこに、ソフトボールで国体優勝したチームのエースで4番という、傑出した運動能力を持った岡本が飛び込んできた。
左利きだったのを右利きに変え、73年に22才で池田CCに入った岡本は、翌74年の10月の2度目のプロテストに合格してプロになる。
ゴルフを始めて2年も経っていない快挙だった(ただ素質だけではなく、暗くなっても懐中電灯の明かりでパット練習をやっていた、なんて言う伝説は沢山あるらしい)。

そして75年には初優勝、79年には日本女子プロゴルフ選手権優勝、80年には賞金女王、と一気に日本女子プロのトップに駆け上がって行く。
しかし、彼女の凄いところはプロになったときから、アメリカで戦いたいという意志を持ていたこと。
これを公言したために他の先輩プロから、色々と「いじめ」にあった、なんて言う噂もあった...休会届けを出してアメリカに渡るときも、後年のプロ野球の野茂の時と同じように決して好意ばかりで送られたわけではなかった。

81年からアメリカ女子ツアーに参戦。
アメリカツアーで通算17勝を挙げる。
その間1987年には、米国人以外では初となる「米ツアー賞金女王」となる。
しかし、メジャー競技には何故か勝てずに、単独2位が4回、2位タイが2回という結果を残すのみ。
特に87年のデュ・モーリエでは6打差のリードを最終日逆転負け、同じく87年の全米女子オープンでは3日目トップも最終的には3人のプレーオフとなり、2位に終わった。
(ただ、84年に全英女子オープンに勝っているから、今ならメジャーに勝ったことになる?)

順調すぎるように見える岡本だが、ソフト時代からの腰の酷使がたたり、84年には腰痛のために入院し、85年にはパパイア・インジェクション法という腰の手術を受けている。
怪我の功名というか、この腰の手術の後の岡本のスイングは、それ以前のパワフルなスイングから「パーフェクトスイング」とプロ仲間から言われるほどの、柔らかく膝を使ったスムーズなスイングとなる。

ゴルフ界では、彼女の後も続々とアメリカツアーに参戦する女子ゴルファーはいるけれど、まだ彼女の成績を上回るゴルファーは一人も現れていない。
(宮里や上田の苦戦の様子を見ていると、彼女のようなゴルファーはもう出ないかも知れない、なんて感じる)
今は女子プロ協会の仕事が忙しいようだけど、またあの素晴らしいリズムのスイングを試合で見てみたい、と思うのは俺一人ではないだろう。
...関係ないけれど、人間的にも魅力的な女性だと思っていたのに、独身を通しちゃったなあ...ソレンスタムみたいに、違う幸せも掴んで欲しかったんだけど。