「クッソ熱い狂気の夏」と言ったところで、まだ夏は始まったばかり。
ゴルフも旅も、何処も彼処も気温が体温を超えているんじゃ、行ける場所が無い。
むしろ外の暑さは命の危険が半端じゃ無いってんで、「死にたくないなら家にじっとしてろ」が正しい判断だってんだから,,,今の夏の季節ってのは、まるでこの世の終わり・地獄の様相だね。
そんな所に昨日「夕刊フジが今年で休刊」なんてニュースが飛び込んで来た。
まあ、青天の霹靂って訳じゃなく、「いつか、いやもう直ぐきっと」そんな事態になるだろうなんて、十分予想してたし覚悟もしていた。
夕刊フジは、俺は仕事をしたことが無い...過去には何回も仕事の依頼があった...それもかなりの好条件で。
しかし、俺のその頃のメインの仕事は夕刊フジのライバル誌の日刊ゲンダイで、そこの編集者のN氏・Y氏・H氏とは仕事以外でも一緒に酒を飲んだりゴルフをしたり...友達付き合い仲間付き合い(と自分では思っている)していた為に、商売敵のフジの仕事を受ける事はそんな付き合いを裏切るように感じて、結局全てを断ってしまった。
そういう義理がけは、仕事の上ではもっとドライにしなくてはと良く言われたが、俺の気持ちの問題としての判断だった(後悔はしていない)。
俺が初めて日刊ゲンダイの仕事を受けたのは40代始め頃か,,,ゴルフを始めて一番熱中していた時で、ハンデもシングルになってから9・8・7・6と上げていた時だった。
「ゴルフを良く知っているイラストレーターだから」と連載を任され、プロへの取材や試合の取材も度々頼まれた。
当時は夕刊紙が部数を一気に伸ばしていた時代で、通勤電車や昼間の電車・喫茶店などの中で本当にたくさんのサラリーマンや老若男女達が夕刊紙を読んでいた。
混んでいる電車の中では普通のサイズの新聞が大き過ぎて読み難く、またアメリカやヨーロッパのニュースはテレビには負けるが皆が読んでいる朝刊紙よりは半日早く読めるということで評判が良かった(当時の野茂の活躍の記事は大人気だったとか)。
この時代は「テレビニュースでは見聞きしていても、確実なところは活字を読んで確かめなければ気が済まない」という人たちが大多数だったと思う。
結局人々の間に、「テレビニュースは虚像・文字のニュースが実像」なんて感覚がまだあったように思う。
,,,それが、ケータイの出現から流れが変わりだした。
そして、スマホの出現で完全に潮目が変わった。
「電車の中で夕刊紙を読む」のが普通だった光景が、あっという間に「ほぼ全員がスマホを見てる」光景に変わった。
...つまり、あれほど売れていた夕刊紙がどんどん売れなくなった。
売れ行きが減るに連れて、経費削減を理由に俺の原稿料は下がって行った...半額、三分の一、そして...。
ゴルフページを頑張って支えて俺に仕事を出し続けてくれていた編集者は次々に定年になり、嘱託で残っていた5年も過ぎ、ついに今年から会社を離れ、同時にゴルフページも廃止されて...俺の仕事も無くなった。
今年は、だからゲンダイからの仕事は一つもやって無い,,,とはいえ、自分の中ではゲンダイは「身内」のような感覚で、フジの休刊ニュースを痛みを持って聞いている。
「夕刊紙がある時代」というのは間も無く終わるのかも知れない,,,
写植がパソコンに追われたように、「文字を読む」文化が「与えられて見るだけのスマホ」の為に加速後的に失われて行く気がして心配になる。
なんでもすぐに検索出来て知識を得ることが出来るスマホは、本当に便利なものではあるけど...同時に強者のフェイクと弱者の悪意も渦巻いて待ち構えている、超危険なツールである、と俺は思っている。
こんなものにどっぷり浸かっていては,,,人は幸せに絶対になれない。
先人が残した「人を便利にはするけれど、決して幸せにはしない」なんて言葉が、だんだん重く現実味を帯びてくるのが恐ろしい。