ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

また一つ星が...

昨日、パソコンに向かって仕事をしている時に電話があった。

以前、と言うより大昔、「俺がゴルフイラストを週刊GDで書き始めた当初」の担当編集者だったK氏が、急な病気で亡くなった...と。
年齢は少し上で、当時の編集長の命令でゴルフを始めた後、このK氏と一緒に組んで仕事をすることが多かった。
当時はプロの取材に編集者とカメラマンとイラストレーターがついて行って、一緒にラウンドしながら仕事を進めることが多かった。
だから、(後から考えると実にラッキーな事に)俺はゴルフを始めた当初から、当時一流のゴルファーとラウンドする事になり、その技術や心情を学び知る事が出た。
取材対象のプロはツアープロが中心で、少し前のツアー優勝者や日本オープン優勝者や、売り出し中の新人や、日本アマの優勝者などの強豪たちのゴルフに数多く接してしまうと、その後プライベートのゴルフで一緒になるアマの「自称上級者」のゴルフにビビることは全く無かった。
そんな俺の「ゴルフ、仕事もプレーもやり始め時代」に一番多く一緒に回ったのが、このK氏だった。

その後、俺が大ファンだった(今も、だ)挿絵画家の山野辺進氏を紹介してくれたのもK氏だったし、その山野辺さんとの泊りがけ宴会ゴルフを楽しんだのもK氏がセッティングしてくれたものだった。

その後、k氏が担当を変わり、編集部を変わり、俺が他誌や新聞イラストに軸足を移すと伴に付き合いは薄くなって...長い時間が過ぎた。

それがいろいろな事があって、去年から数十年ぶりに日刊ゲンダイ誌上で一緒に仕事をし始めた。
電話で何回か話した限りでは、「今も元気にツアーの取材も続けている」という事だったのに...

急に体調を崩し、連載も休載して...あっという間だった。
コロナ騒ぎのおかげで「久しぶりの一杯」をする事も無く、一緒にラウンドをする事も無く...
コロナのおかげで「家族で静かに」ということで、別れに顔を見る事も無く。

 

だけど、生きてる限りの俺の勝手なお祭り騒ぎは...全米プロなんかよりもずっと面白い自分のゴルフを遊び続ける。
そう...フェアウェイウッドが当たらなくなったのは、年のせいで老化のせいで、70肩のせいで・・・俺のせいではない。

この前多かった「アイアンのどダフリ」は、ふくらはぎ痛で無理してスイングしてる為左足重心に出来難かったからで...俺のせいではない。

今後、少しずつクラブを入れ替えて、レギュラー10本前後で糸巻きボールで。

 

なあ、久保田さん、あなたに俺のこの「ヒッコリーゴルフ」 を見せたかったなあ...

初心者だった頃の俺の世話、どうもありがとうございました。