ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

エピソード・1

うちの奥さんは、俺との結婚前には京橋の某出版社に勤めていた。
(俺が偶然新聞広告を見て応募した銀座一丁目のデザイン会社とは100メートルくらいしか離れていない場所だった。)
まあ、運命ってのは後で考えるとそんな具合で、俺がイラストレーター募集に応募しなければ彼女との縁も全く繋がりはしなかっただろう。

そんな奥さんの京橋の出版社の同僚で、当時親友だった女性が50年ぶりに訪ねて来てくれた。
会うのは50年前の結婚前に銀座で飲んだ時以来...ただし、彼女の結婚相手の男性が俺のイラストを気に入ってくれて、夫婦で経営していた進学塾のポスターを毎年描くという付き合いはずいぶん長いこと続いていた。
その旦那さんに俺は会ったことが無かったが(年齢は少し彼のほうが年上)、昨年急な病気で亡くなってしまい、その気持ちを鎮めるための鎮魂の旅という意味合いもあったと聞く。

そんな付き合いがあったために久しぶりという気持ちは少なくて、まるで50年前の続きのように宴の会話は馴染んでいく。
まずは、カラオケが大好きと言うことで、うちら夫婦も2〜3年ぶりのカラオケに...
彼女は歌い慣れているようでノリも良く、さすがに自分で得意というだけの事はある...が、歌うのが俺たち「ど昭和」の人間と違って、スピッツだとかナンだとか知らない曲ばっかり(いい曲なんだけどね)...これは経営している塾の生徒との付き合いから覚えたものらしい。
同じ年代ながら、俺たち昭和の化石夫婦には時代のギャップがありすぎる。
で、カラオケは適当に終えて(だって、久しぶりだから声も全然出ないし)近所の居酒屋で、50年前の銀座の宴の続きの宴会。
それぞれがそれぞれの昭和・平成・令和の時代を生きて来た思い出話に花が咲き、飲みかつ食いかつ語るエピソードは終わりが無い。

...一度の宴会で50年分の人生を語り尽くせる訳もなく、また近々の宴の約束をして宴は楽しく終わる...

ああ、どのくらい振りだろう...居酒屋でしこたま飲む宴。
一応「塩分濃いめのつまみは避けて、アルコール強めのお酒も避けて」だったけど、お医者さんに話せば怒られるに決まっているから、ナイショにしとこ。
(でも、味覚もかなり戻ってきて、これから楽しめそうなのは確認)


で、そんな宴で出てきたうちの奥さんの「エピソード」を一つ紹介。

うちの奥さんと結婚して間もない頃(奥さんは20代半ばを過ぎた頃だったか?)
この親友の彼女の済む名古屋まで、お祝い事で一人で遊びに行くことが決まった。
俺は仕事が広がっていく途中で、毎日あっちの出版社、こっちの新聞社と打ち合わせや締め切りに追われていてとても時間が取れなかった。

外見で言うと、当時の奥さんは髪は長く清楚でおとなしそうでちょっと陰のある,,,実にいいオンナだった(多分一番綺麗な時だったろう)。
(当時道を一緒に歩くと、若い男は大抵振り返っていたっけ)
そんな彼女の初めての一人旅...東京駅で新幹線に乗る顔は不安そうで、今にも泣きそうな子供みたいだった。
新幹線が動き出し、駅のホームで手を振る俺に彼女は窓に張り付いて涙の一雫をポロっとこぼしたのが見えた。

...後で聞いた奥さんの話。
別に二日で帰るんだから何も無いのに、何だか心細くなって涙がこぼれてしまった。
そうして電車が走り出したら、隣に座っていた品のいい老婦人が誤解したらしく、「人生は長いから色々あるのよ」と慰めてくれたんだそうだ。
俺の母親もうちの奥さんの一見儚げな様子にすっかり惚れ込んでしまい、自分が彼女の一番の味方をするんだと宣言していたし...俺は当時からずっとうちの奥さんは「年寄り殺し」の才能があると感じている。

で、肩を抱いてくれてずっと優しく励ましてくれたんだそうだ。
...そんなことがあったのを当人はすっかり忘れていたようで、俺に聞かれてやっと思い出したエピソード。
(こうした「思い入れ」は周りが勝手に気を使ってしまう事で起こるハプニングで、当人は意外にアッケラカンとしているもんだと、俺はうちの奥さんを見て学習した。)


女ってのは生まれつきの「役者」ってことかもしれないな...