ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

流石に練習場に行ったべさ...(って、どこ方言だ?)

2週前の思川の後半では、クォーターショットで軽くボールを拾ってボギーペースを切るアンダーパーで回れたのに(俺のヒッコリーゴルフ 基準では45がパープレー)、この前のスプリングフィルズでは嫌になるほどの連続ボールの頭叩き...流石に「こりゃダメだ」と一年3回ほどi行く練習場に行って来た。

 

 

 

多分そうだろうと考えていた通りの結果がすぐに出た。
...あれだけ寒い中では、昔痛めた腰や膝、それに肘や手首までがジンジンとして来て、「こいつは危ない!」「気をつけろ!」という非常信号を出している。
で、俺の身体は「そうならないような」動きをしようと全力を傾けた結果、という訳。
その久しぶりの冷え込んだ寒さに対して、俺はまず腰と膝を痛めないように普段より体を起こして楽にして、クラブの重さを利用して手首を柔らかく使って紐に縛った重りを振り回すようなスイングをイメージした。
その結果、それでなくてもフラットなライ角のものが殆どの古いヒッコリーアイアンで、トウが地面に引っかかってヒール側でボールを巻き込む頭叩きのチョロが頻発したという事。
なぜそんなに簡単に原因がわかったかというと、アイアンのフラットなライ角に対して少しトウが浮くくらいにフラットに構えてスイングすると、あれだけ頭叩きしたアイアンがどれもちゃんと当たって飛んで行く。

だから、次にちゃんと当てるためには「俺がフラットなアイアンに対してフラットに構えてスイングすればいい」というのが解答で、すごく簡単な理屈。

だけど、俺がジジーゴルフでヒッコリーゴルフでラウンドを楽しむためには、これはかなりキツイ事。
何しろ俺が使っている「百年もののヒッコリークラブ」は、長い時間をかけて1本1本オークションなどに出ているものを集めた品物。
高価なものには手を出せなかったので、比較的安価なものばかりだが...このクラブたちを使っていたのは、ずっと以前の小金持ち以上の俺のじーさんよりずっと上のゴルフクレージー達。
多分当時の大金をはたいて買ったクラブだろうけど...当時の日本人の身長は「五尺の体」が歌謡曲に歌われるほどの平均身長。
五尺といえば150センチ...実際にはもう少し高いものだったにしても、160センチ前後か。
そんな人たちが手に入れたクラブは、やはりその辺の人に合ったライ角だったろう...標準的なアドレスである少しトウが浮くくらいに構えると、身長181.5センチの俺にはどれも超フラット過ぎて、物凄く深く前傾してグリップを強烈にハンドダウンにして、さらに膝をかなり曲げないとアジャスト出来ない。
このままフラットにスイングすると、ニブリックでもマッシーでもミッドアイアンでも普通に当てるのは容易い...が、そんな動きは昔痛めた腰や膝にはかなり苦しい動きであり、窮屈に振る上半身ではやはり昔痛めた肘や手首に無理が掛かる。
おそらくこんな形で振っていると、その何処かが壊れてゲームセットとなるだろう。
今仕事をやっている新聞連載では、179センチの杉本英世が当時「ビッグスギ」というニックネームで呼ばれていたと書いてある。
彼はやはり当時のクラブのフラットなことに悩んでいたが、アメリカやイギリスから来たゴルファー達の使っていたクラブを譲り受けて、やっと自分に合った道具を揃えられたと言うエピソードがあるそうだ。

俺の揃えたヒッコリークラブも、本当に古い百年ものはほとんどがフラット過ぎて、意識してフラットなアイアン用のアドレス・スイングをしなくては前回のような頭叩きを繰り返すことになる。
それが老いた体には苦しいとなると、今出来る最善の策は現代物のヒッコリークラブである「タッド・モア」を使う事。
このクラブは今の普通の米国人を相手に作られているためか、百年ものに比べるとずっとライ角がアップライトで、俺にも振りやすい。
今までは単に勝手なこだわりで百年ものを中心に使って来たが、今回から反省して方針変更。
普通のショットはタッド・モアのヒッコリークラブでショットして、良いライの時に「たまに」フラットなアイアンに合わせたフラットスイングで百年もののヒッコリークラブの打感を楽しむ。
そんな所かな、今回の失敗の反省と対策は。
まあ、誰に言われたわけでもない、いつまで楽しめるか判らない...だからこその楽しみだ、なんとか悔いを残さないように...頑張らないでガンバンベ(笑)。

 

でも、今週のお一人参加ゴルフ...同伴競技者がキャンセルで、必要参加人数に足らずに俺のコンペ参加が成立しないかもって。
せっかく暖かい千葉方面に変えたのにねえ...