ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

誹謗中傷...「匿名」の悪魔たち

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コロナ騒ぎの真っ最中の、ドタバタ騒ぎの真っ最中の、なんだか虚しい「東京オリンピック」を毎深夜見るともなく見ている。

どの競技にもそれほどの執着が無いので、「金メダルとった!」なんてニュースも「優勝候補なのに予選落ちだって!」なんてニュースも、基本「へ〜え?」くらいの感想。

それでもやっぱり、金メダルとった競技はそのニュースの録画映像を結構喜んで見るし、期待されながら惨敗したような競技には「あ〜あ...」なんて、がっかりもしている。
ただ、なぜか今の俺はライブで放送で競技を熱心に見るという気にはならない。
深夜ニュースの「今日の日本選手の活躍」なんて部分を、酒の肴にするくらい。

自分のその気持ちを掘り下げて見ると、「期待して」「思い入れを持って」「その活躍を楽しみにしていた」競技で、応援していた選手が予想外の負け方をした場面に出くわすと、自分の気持ちが落ち込むのが凄く嫌だと感じる所に行き着く。
「負けると悔しい」から「負けると腹が立つ」になってしまい、「コノヤロウ、ナニヤッテンダ!」になるのが嫌なのだ。

多分、大元はそんな気持ちなんだろう...様々なSNSで、こうした選手たちに対する誹謗中傷がどんどん酷くなって、その攻撃対象となった選手たちが「訴える」とか「思い知ったか」とかの言葉を発するようになっている。
確かに最近の掲示板などを覗いてみると、読むに耐えないような酷い事や、悪意で一杯の非難や悪口などが凄く多くなって来た、と感じる。
特に、今までの日本人の常識としてあった「この線は超えちゃいけないよ」とか、「これを言ったらお終いだよ」とか、「人として言ったらいけない事がある」なんて限界を軽く超えているような悪口雑言が多くなったと感じる。
これはあの東北大震災の時に、犠牲者や被災した人たちに「お祝いします」との横断幕を出した某国の「人としてそれを言うか!」の「人で無し!」の様とよく似ている。

日本人はこうなってはいけないのだ、と古い人間である俺は思う。

この原因を俺の足りない頭で目一杯考えてみると、やっぱり「匿名」で書く事が許されているからだ、と言う結論に突き当たる。
「匿名」...自分の名前も職業も年齢も判らないと思っているから、倫理のかけらもなく言いたいことを書き散らす。
むしろ現実の自分の人生の場で感じている、僻み・嫉妬・羨望・憎しみ・怒りを「匿名」の盾に隠れて、その「恵まれた(と自分では思っている)立場の人物」に私情をぶつける。
そこには相手に対するリスペクトは無く、ただその相手を自分と同じ立場か自分より下に「引きおろす」ことにだけ情熱を傾ける、人で無しの嫌らしさだけがある。

「匿名」ということが許される限り、自分の現状に不満がある人はこの「ヒトデナシ」地獄に堕ちて行きやすい。
(現在は酷過ぎるものは警察によって匿名の壁は破れるが、「このくらいなら大丈夫だろう」という気持ちで書き込む人間は...多い。)
これを防ぐには、ネットの特徴でもある「匿名」を許さないことだ。

「自分の書いたことには文責を持つ...本名で書けない事は書くな」、という当たり前のこと。

中には匿名でないと困る場面があるかも知れない...でも、そうした場所は多分誹謗中傷が存在出来ない場所ではないのか?
悪意が存在出来ない場所以外は、ネットの書き込みは全て本名に限るようにすればいい。

もちろん言論の自由...悪口や攻撃的な文を書いてもいいが、その結果は全て自分が受け入れる覚悟を持つという事。
便所の落書きのように、クソと一緒に書き捨てる事が許されるのが言論の自由なんて...ネット上だからって、「そんなもの読みたくない!」って思わないか?