ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

毎年やってくる「緑の五月」も...

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今日から5月。
いつもなら「ゴールデンウィーク」の真っ最中で、緑濃くなって行く風景の中でどこかしら浮かれた雰囲気があったものだけど...
今までは乾いて埃っぽい風景だった近所の田んぼも、やっと水が入って来て田植えが始まった。
埃っぽい大地から水の大地へ...水が入って風景が一変すると同時に、今は機械であっという間に田植えが進んで行く。
するとどこから現れるのか、すぐに田んぼの水の中からカエルの大合唱が始まる。
うちの奥さんはこのカエルの鳴き声が大好きで、「ここの声が一番の癒しよね〜」とうっとりとして聞き入っている。
俺も奥さんも東京の都会育ちなのにこのカエルの声が大好き...なのに、うちの近所でも「カエルの声がうるさいから、駆除してほしい」と市役所に訴える人が居るんだから...本当に人それぞれ。

2年前にも書いた事だが、俺は毎晩布団に入るときに必ず思う事がある。
それは、「ああ、俺は一歩間違えたら冷たいコンクリートの上で、段ボールの箱の中、新聞紙にくるまって寒さに震えて寝ていたかもしれないのに...運が良かったなあ」という事。
奥さんが昼間干しておいてくれた布団からは、日向の匂いがしてじんわりと暖かい。
そして、本当に運が良かったんだ、としみじみ思いながら目を瞑る。

 

俺は絵を描いて生きると決めて家を出た時に、やがて道端で行き倒れる事を覚悟した。
美大に行く金もデッサンの勉強もしたこと無くて、かき集めた金で入学金を作りデザイン学校に入った。
そこで偶然何人かの先生から、「君はここにいちゃいけない」とか「君には類稀な才能がある」とか言われてその気になって、月謝を払わずにその金で絵の具を買って絵を描き続けた。
結局このデザイン学校で会った先生に生きて行く方向のヒントをもらい、この学校を卒業する事なくイラストレーターとしての仕事を始めた。
そうそう、忘れちゃいけないのがうちの奥さん...彼女もこのデザイン学校に落ちていた。

そして新聞の募集広告を見て最初に応募したデザイン会社で、50人から選ばれて一人就職出来た。
が、ここの仕事はイメージとは全然違い、半年で退社してしまった...しかし、ここの半年間で知り合った人たちがその後のフリーのイラストレーター生活の大きな助けとなった。
今でも続けているゴルフイラストも、元はここで働いていた編集者がゴルフダイジェストに移った時に紹介されたものだし、広告イラストから雑誌イラストに仕事の場を変える時にもここで知り合った人との縁があった。
唯一尊敬しているイラストレーターの山野辺進さんにも、ここでの縁で会えた。

俺には金運はなかったが「人に会う運」があった、とずっと思っている。
毎晩浮かぶ冷たいダンボールで寝る光景は、その幸運に対する感謝の気持ちを忘れるな、と俺に言っているんだろう。

 


5月になると、毎年こんなことを思い出す。
多分、俺は本当の人生を数十年前の5月に始めて、人と出会い始めたのだ。

緑は濃くなり、吹く風は気持ちを高揚させる。
「人生はこれからだ、今からならなんでも出来る」なんてつい思ってしまう...鏡の中の自分を見るまでは(笑)。

 

ワクチンの案内が昨日来た。
でも、我々の番は6月になってからの受付の後、いつになるかはわからない。
7月までには1回目が打てるのか?

 

で、改めて思う...これでオリンピックって...出来るんかい?