ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

尊敬するイラストレーター「山野辺 進」氏の個展...是非見て欲しい!

前にも書いたけど、俺は美大も芸大も行っていない。
20歳になって、デザイン学校に入ってクロッキーを始め、すぐにデザイン学校はやめてイラストレーターとしてデザイン会社に入った...そこを半年で辞めて、勝手にフリーのイラストレーターになった。

そこからは、単に「人との出会い」のみの幸運のおかげで、ずっと今の歳までフリーでやって来れた。
始めに入ったそのデザイン会社に居た数人の人達と、半年で俺が辞めた後に奇跡のような再会を繰り返し、仕事を紹介してもらい、仕事の枠を広げて来られた。
その一人のS氏は、30半ばの時に山と渓谷社の仕事を主にやっていた俺に「ゴルフの仕事をやらない?」とゴルフダイジェストの仕事を勧めてくれた。
そして、そこで始めたゴルフの仕事が、結局俺の生涯のメインの仕事となり、生きるための稼ぎの元となった。

そして、その週刊ゴルフダイジェストで編集のKさんに、「山野辺 進」さんを紹介されてお会いすることが出来た。
イラストレーターの山野辺進さんという人は、俺がイラストレーターになりたいと思った時の「憧れの作家」であり「こういうのが描きたい」という目標のような作家で、アメリカのボブ・ピーク、ベン・シャーン、バーニー・フークスエゴン・シーレなんかと並んで、その作品をスクラップして独学の参考にしていた。
俺は日本人作家では一番上手いと思っていたけど、世間的に知られた人ではないのが不思議だった。

そのK氏と共に山野辺さんの家を訪ねた時、独学で下手で無名の若者に、山野辺さんは驚くほど対等に丁寧に接してくれた。
弟子は取らないと言っていた山野辺さんなのに、まだ圧倒的に実力不足を自覚している俺に対して、「挿絵の仕事をやりたいなら」といくつもの小説雑誌の仕事を紹介してくれた。
おかげで一時は10誌を越える小説誌の挿絵の仕事を貰い、一気にてんてこ舞いの忙しさに投げ込まれ、間には編集者に「先生、先生」と呼ばれながら銀座のクラブにまで何度か連れて行かれた(これはちっとも楽しくなかったけど)。

しかし、そうした仕事は非常に面白くてやりがいがあったけど...ある日、自分が「これは上手く描けた!」と思ったイラストが、結局山野辺さんそっくりだった(あるいは「山野辺さんならこう描くだろう」というイラスト)って事に愕然とした。
もちろん実際には山野辺さんの方が本物で、自分の方が圧倒的に偽物という違いははっきりしている。
「ああ、俺は一番上手く描けたと思った挿絵も、結局山野辺さんの偽物にしかならないんだ」という事を本心から自覚した時に、「すみません、俺挿絵の仕事辞めます。」と全ての出版社に断りを入れて、挿絵の仕事を辞めてゴルフイラストに専念する事にした。
山野辺さんにその事を話した時には残念がられたけれど...それでもずっとその後も変わらずにお付き合い頂いて、うちの奥さんも娘二人も山野辺さんのファンをずっと続けている。


是非、この個展を見て欲しい。
その繊細さ、ダイナミックさ、美しさ...
この個展を見た時に、俺は「画狂人」と言われた葛飾北斎の絵を思い出した。

本当に独学の俺が尊敬した、唯一の師匠「山野辺 進」氏の仕事を離れたイラスト。
その世界をもっとたくさんの人に見て欲しい。

感動する、と思う。