ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

世界の不幸・・・??の人

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「こういう事態にならなければ」数年後にはきっと、その経歴に立派な肩書き経歴が加わって、「母国の英雄」「世界の名士」として幸せな人生を全う出来ただろう。
でもこういう災害の混乱の中で、本人にとってはどうにもならない能力の限界が世界中にバレてしまった。

特に日常に大きな変化が起こらない、「昨日」の続きがそのまま「明日」につながる平和な世界では、組織のトップはそれぞれの世界の出世競争で勝ち抜いて来た人物がなって別に問題は起きない。
それまでのやり方を変えずに行けば「予想内」の結果は大体ついてくるし、特に特別なことをしない限り時間が経てば無難に仕事を全うできる。

しかし、「乱世」、特に今回の肺炎騒ぎのように世界中の今までの生活の形を変えてしまうような大災難が降りかかる世界では、それぞれの組織のトップには未曾有の出来事に対応できるしっかりした見識と、未来に渡る影響を考えられる想像力、未経験の出来事に対する柔軟な行動力が求められる。
こうした時には、平和時に通用する肩書きや経歴・学歴などは役に立たない。
その人間全部の「能力」が試されて、その結果は世界に曝される。

問題は、こんな時に大きな組織のトップ、特に国際組織のトップなんかに「無能の人」が居たりすると、それは災害の犠牲者や損害を拡大し、世界規模での人類の被害拡大の原因となってしまう。

俺はこのブログで人の悪口なんかは極力書きたくないんだが...このWHOの事務局長という人間の、これまでの行動はまさに「酷い」と言うしかないものだと感じている。
ネット上に、彼の語録が残っているのでそれぞれ調べていただきたいが、殆どの人間が今までのニュースでのWHOの会見の度に「あれ? なんか違うぞ?」と感じていたんじゃないだろうか。

彼はいくつもの大学を出て、いくつもの政治的な経歴を重ね、母国でのエリートであり人望もあり...決して愚かでは無いし、軽薄な人物では無いと思うのだが...その語録を読み返すと、「結局、全てお前の判断が間違っていて、それが原因で各国の対策の足を引っ張って、ここまでこの災害を拡大させたんじゃ無いか?」とまで思ってしまう。

何か災害が起きた時に、その対策の責任者が有能かどうかはその行動に「人間力」として現れる。
我々は過去の地震や噴火や台風の災害度に、各自治体の長の能力に助けられて来た。
もちろん無能な長の情けなさに呆れたりした事もあったが、そういう人物は意外と少なく、そうした場合でもその長を助ける補助役に有能な人物がいる事が多く、なんとか乗り越えて来た。

今の、役に立たないどころか、世界の足を引っ張っているこのWHOという組織の長に、本物の有能な人物が肩代わりをすることを心から望んでいる。

ただ、こうした時に自分が無能であると気がつく無能の人は少ない。
自分から有能な人物に変わる事が出来れば、それこそ「無能じゃなかった」という証明になるんだけれどね。


教訓...責任ある立場に無能の人がついていけない。


だから、俺は責任ある立場なんて、絶対につかない。