ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

天下の暴論....28

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なんか暴論書くのも空しくなっている今日この頃。
まあ、世直しするなんて大それた考えがある訳じゃ無し、ひねくれオヤジの戯言として読み捨てて下さいな。

素面ででも酒飲んでても、相変わらずゴルフの話をする時に必ずついてまわるのがスコアの話。
この前いくつでまわった、最近のアベレージは、ベストスコアが、ワーストスコアが、百を叩いた、80を切った....
確かに「パー72のコースでスコアはいくつだった」と言うのは、みんなが理解出来て参加出来る共通点がある話題として「あり」だろう。
でも、この「パー72のコースでいくつでまわった」と言う数字は、本当にそれを話題にする普通のゴルファーに共通する数字なのだろうか?

こんな話題の時には、一般的に100を切れない人は「ヘタクソ」「アベレージ以下」のゴルファーと見なされて肩身が狭い思いをし、70台でまわるゴルファーは「上級者」として尊敬される様な雰囲気になる。
勘違いしてる人間は、この数字が良いだけで自分という人間が下手な人間の上に立つのが当然と言う態度になる。
スコアという数字に寄って、その場の身分の高低が出来てしまうのだ。

おかしな話だ。
そもそもそのスコアだって、コースの難易や天気の状態やその日の運不運に寄ってかなりの開きが出る訳だし、体調やラウンドの頻度に寄って一人のゴルファーの中でも数字は大きく違ってしまう。
それに同じアマチュアゴルファーと言っても、週に5日間以上ゴルフと関係ない仕事で働いている人と、仕事は殆ど他人に任せて自分は週に三日以上ゴルフが出来る人ではスコアという数字が違うのは当たり前だ。
スコアが良いだけで態度が大きくなって上から目線で話をする様になり、スコアが悪いだけでつい卑屈になって恥ずかしい思いをするなんて、本当はあっちゃいけない話だ。
こんな勘違いが「上手い自分なら多少の酷い事だってやって良い」なんて、馬鹿ゴルファーを作る。
この前のような「打ち込み」をして平気な連中のような、自分より下手なゴルファーを馬鹿にする連中だ。
ちょっと考えてみれば、世の中には自分より上手いゴルファーなんて数えきれない程いるのが判っていない。
地方のアマでトップだって全国トップには敵わないし、日本のトップアマだってプロには敵わないし、そのプロだって日本のトップになるのは大変な事だし、そのトッププロが世界で通用するかと言えば...

それに、自分のゴルフの目的を「スコアを減らす」事にしてしまうと、ゴルフ自体が汚くなりやすい。
心が弱ければ、「つい」あとで後悔する様なルール違反を犯すかもしれないし、目標スコアが絶望的になった時点でその日のゴルフを投げてしまうかも知れない。
あるいは、ミスの原因を他のものの所為にしたり、同伴競技者の所為にしたり...それをあからさまに態度に出したり。
酷い場合にはスコアを誤摩化そうとしたりする輩も出てくる。
こんな奴らを「スコア乞食」と言う。

数字はあくまで、後日何かを検討する為のメモだと思えば良い。
あくまで楽しむのは「ゴルフ」だ。
数字の多少ではなく、その日自分がどんな気持ちでどんなプレーが出来たかだ。
どんな同伴プレーヤーと、どんな会話が楽しめたかだ。
自分が打ちたかった様なショットをいくつ打てたか、だ。

そして、自分の記憶にゴルフコースの風景と、その日の風と、その日の空気と、一番奇麗に飛んだボールの軌跡と、その日の一番のショットの感触がちゃんと残ったかが大事なんだと思う。
ゴルフは、スコア以外の話に本当の魅力が詰まっている。