ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

当たり前だった日々

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気の合う友人と酒を飲む。
ちょいと誰かとカラオケに行って、歌ってみる。
気になった映画や演劇やコンサートを観に行く。
グループや、親しい仲間と旅行に行く。
家族と温泉に行く。
誰かと気に入った店で食事する。
・・・・・

そんな「なんでもない」「普通の」「いつもの」行動が、いつの間にか出来ない世界になってしまった。

生活の当たり前だった殆どの行動を「自粛」しなくてはいけない...そして、間も無く全てが「禁止」になるかもしれない。
...世界がこんなに「あっという間に」変わってしまうなんて、想像したことがあっただろうか?
科学も技術も、人を幸せにするには十分に進歩していたと思っていたのに。
...それはただの錯覚だった。

世界の経済の流れの主流だった「グローバリズム」とやらの言葉が、地面に書かれた落書きのようにちっぽけで虚しい。

今世界を変えつつある厄災の、「終わり」が見えてこない。
どう収束させるつもりなのかの「形」が全く見えない。
こういう時のために、世界の優秀な頭脳たちは立派な職業で働いているのだろうに、彼らからはまだ何の答えの予測も我々に聞こえて来ない。

俺のちっぽけな脳細胞では、結局武漢肺炎に対する特効薬かワクチンが出来るまではこのまま行くんだろうとしか思えないのだが...「いつ出来るのか?」「ひょっとしたら出来ないのか?」が全くわからない。


つい何ヶ月か前までの、あの「普通の」生活はもう二度と帰って来ないのか?
これからは、こういう形のままであの病気と共存して行かないといけないのか?

当たり前に会って、当たり前に飲みかつ歌い、肩を寄せ合って語り合った日々が、遥か遠い昔のような気がする。


ノーベル賞学者が、世界の大金持ちが、名誉のために金儲けのために、懸命に治療薬をワクチンを作ろうとしているとニュースで言っている。
俺は、世界の人々がなんとか耐えているうちに、動機はなんであれ、彼らがその輝かしい成果を発表してくれる事を祈る。


桜は予想を遥かに越えて長く咲き続け、今、風に散って行く。
叶うなら、どうか桜よ...この厄災を花びらとともに吹き払ってくれ。


俺は、来年は桜吹雪の下で静かに酒を飲みたいのだ。