ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

思えば遠くに....

イメージ 1

ずいぶん歩き続けて来られたものだ。

つまらなかった10代のあと、20歳でいきなり絵を描こうと決めた。
なんの未来への展望の希望も夢もなく、ダメなら道端でくたばるだけの人生さ...そんな風に本気で思っていた。
美大へも行けず絵の教育も受けないままで、入学金だけ払ったデザイン学校でクロッキーを知り、その後はただ山手線の向こう側に座る人々や酔っぱらって眠る人々を描き続けた。
そして新聞のイラストレーター募集広告に応募して、偶々採用された広告代理店でその後の人生で助けられた人達と知り合った。
半年でそこをやめてフリーになったあと、その知り合った人達からの紹介で仕事が続き、またバイトで入った代理店で又世話になった人と知り合って...性格に合わなかった広告イラストから、紹介された雑誌イラストメインの仕事に移り、そのままここまで来てしまった。

その間に(食えるだけの仕事もないのに)、当時一番清純可憐で美しく見えた今の奥さんと結婚することになり、昨日が結婚42周年!
...まあ今はもう、その清純可憐さは何処にもないけど、稼ぎの殆ど無い当時のオレの仕事や生活だったのに、そんな貧乏も平気で明るかった所が一番「大当たり」だったと今でも思う。
こんな明日をも知れぬ商売は、将来を悲観的に考える人間だと例外無くノイローゼになっちまう。
フリーの仕事なんて、能天気な超楽天家か「運が悪けりゃ死ぬだけさ」のニヒリストしか耐えられない。

山と渓谷」の仕事を中心にアウトドア関係の仕事や、色々な雑誌のカットや挿絵を描いていた自分にとって最大の転機だったのが、以前いた代理店の編集者が「何と!」ゴルフダイジェスト社に入っていて、偶然新橋で再会した時に「ゴルフのイラストを描かないか」と誘われたこと。
もちろんやったことがないので見よう見まねで始めたゴルフイラストが、その後の人生を支えてくれて、なおかつ人生最高の遊びも教えてくれるとは...この時には夢にも思わなかったっけ。

一時はゴルフダイジェスト、パーゴルフ、アサヒゴルフの週刊ゴルフ誌3誌で連載を同時に持って描きまくることになり、やがて今も続くニッカンゲンダイの連載や共同通信のゴルフ連載を始めることになる。
望んでいた「子供なら娘がいい」がかなえられて、可愛い娘が二人産まれた時には、そのおかげでなんとか生活を安定させるだけの収入が続き、「せめて下の娘が20歳を越えるまでは仕事が続いて欲しい」と言う願いもなんとか叶えられた。

仕事だけではなく、嫌々始めたゴルフがその後の人生を楽しめる大きな要素になったのもラッキーだった。
これは仕事で始めていなければ、自分から始めることは決して無かった遊びのはずで...「そうだったらオレは何と大きな喜びを知らずにいたんだろう」と、改めてゴルフを知る事が出来た幸運を感謝している。
....考えてみると、今のオレの付き合いは飲む事も遊ぶ事も気の合う知り合いはみんなゴルフで知り合った人ばかり....俺の人生は、ゴルフのおかげで活かされた人生と言い切れる。

正直60歳を超えて自分が生きている人生なんて、想像した事が無かった。
この年になる頃には、きっと仕事も無く家族も無く、まして情熱を傾けるような事も才能も無く、ただまるで「俳句が出来ない山頭火」のように死に場所を求めて生きているだけの老人になっていると思っていた。

明日が誕生日...自分の年が本当に信じられない。
亡くなった同い年や若い友人達、先に逝った妹、病に倒れた友人や遠く離れたあの人や、それぞれの定年を過ぎて仕事で会う事の無くなった仲間達、そして仕事で助けて頂いた先輩や師匠...一時期でも共に歩いた人に感謝する。

明日は誕生記念のゴルフをホームコースで楽しんで来る。
関東の低山紅葉は、きっと今が盛りだろう。
「錦織りなす」紅葉になる程の絢爛豪華さは微塵も無くて、心底地味な赤系の色のグラデーションの繊細に重なる紅葉は、有名にはなれず金持ちにもなれなかった(当然の事なんだけど(笑))オレに似合ってなんだか安心出来て心地よい。

さて、あと何回のこんなゴルフが出来るやら。
ゴルフのおかげで生かされているこの人生、ゴルフの神様の気まぐれ次第なのかもなあ。
でも、全てを含めて感謝します...ゴルフの神様、自分には出来過ぎの人生だ。