ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

ハードスケジュール

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色々な事情が重なって、8日間の神戸gc &四国一周旅の直後、5月31日に帰ってきて6月1日には宇都宮まで「30年前に終わった同好会の同窓会」に出かけなくてはならなかった。

体が150kgになった様な「重い体」を引きずって、東京駅まで行ってメンバーを引率する係(涙)。

そこで6人が集まって、宇都宮までの普通車グリーン席にて夕方5時過ぎに出発。
自分では昼飯代わりの駅弁と缶ビールを買ってゆっくりするつもりだったが、少し年上のメンバーがなんとクーラーバッグに一杯の缶ビール・缶チューハイにつまみを詰め込んで来ていて、周りの席の冷たい視線を感じながらも、男4名女2名にて大宴会(笑)。
彼のクーラーバッグは不思議なことに、いくら飲んでも次から次に新しい缶が出てくる...一体何本入れてきたんだ?

で、宇都宮に着く頃には3人ばかりすっかり出来上がっていて...目的地の宇都宮の人気料亭「はな坊」での宴会開始前にテンションは盛り上がっていた。
が、この会の先生役でもあったS氏(実はこの同窓回は、去年の暮れに重い病気で療養中の彼が、「退院した後に、みんなと酒を酌み交わし「鮎の塩焼き」が食べたい」「それを励みに治療に励めるから」と言ったという事で、鮎の解禁日の6月1日に決まった)、「直前に別な病気で入院して退院したばかりなので参加出来ない」というニュースが飛び込んで来て、非常に微妙な雰囲気となってしまった。

この6月1日という日程は、俺にとってはもっと前から5月30日に神戸ゴルフ倶楽部での「大人の遠足」ラウンドが決まっていたので、非常にタイトで厳しいものだった。
おまけに、「神戸まで車で行くなら」とうちの奥さんがまだ行ったことがない四国の旅も予定していたので、自分の体力が持つかどうか...不安も強かった。
おまけにおまけに、2年ぶりの不整脈まで出やがって...

それでも多くのメンバーは2年前の修三送別同窓会以来、10年前の同窓会以来と言う人も多くいて、計15人が参加しての宴となった。
ただ、やはり今回の「彼のための同窓会」にS氏が参加出来ないという事は、なんとなく寂しく盛り上がりに欠ける宴ではあった。

その宴が半ばを過ぎて、メインの鮎の塩焼きが出た頃だった。
突然女将の絶叫が響き渡った(この「はな坊」の女将は若い頃このクロッキー同好会のメンバーだった)!
その声に驚いた女性メンバーが玄関を覗いてやはり悲鳴をあげる!

なんと退院二日目とかで、まだ腹の抜糸もしていない・言葉もうまく出ない、当のS氏が亡霊のような雰囲気で立っている!
みんな「ほんとかよ!?」「どうして?」「足はあるのか?」と勝手な声で叫ぶ。
来たのは8時過ぎだったか..「いや、せっかく僕のために決めたここの宴会に僕が出ないのはおかしいから」と、フラフラの状態で新幹線とタクシーでここにたどり着いたという事。
で、彼の口から出た言葉が「僕はあまり食べられないんだけれど、鮎の尻尾でも残ってないかな?」
「僕は鮎の尻尾が好きなんで」

心配と驚きと呆れた感が一緒になって、えらく会は盛り上がる。
...そして、彼は大好物という鮎の塩焼きを齧り、酒まで少し飲み、すぐに帰って行った。
(11時半前に「自宅に帰り着いた」というメールがあった。)

彼のサプライズ登場で、すっかり会の雰囲気は明るく盛り上がり、はな坊の食事と酒に満足し...当然のホテルでの二次会への参加者は11人。
すっかり30年前の若者に戻って、12時近くまで宴は続いたのでした。

で、俺はといえば、ホテルのシングルルームに帰った途端にベッドでバッタリ...気がついたら4時過ぎでありました。
翌日は二荒山神社にお参りしてから、5人で「餃子で一杯」をした後ヘロヘロになって帰りましたとさ。

やっぱり疲れが溜まっていた様で。
一歩歩くごとに体重が増えていくように感じて、家に着いてからそのまま4時間ほどダウン。
本当はその上に今日漫画家コンペがあったんだけど、今回は「疲れ果ててもうダメ」と不参加の連絡となっちまった(もし参加していたら11日間連続のハードスケジュール...こりゃ無理だろう、20年前ならともかく)。
重なる時は本当に重なるもんだ。



(こんなスケジュールはジジーにはもう絶対に無理...先の「旅の記録」は時間をかけてゆっくり上げていきます。)