ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

「世論調査」にご協力を、だって

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先日、生まれて初めて「世論調査」なるものに協力することになった。
と言っても、いきなりかかって来た知らない電話番号の人にそう言われただけなんだけど。

こちらの名前を言わないで「電話番号」だけで話しているところを見ると、携帯の電話番号による無作為抽選で当たったというわけなのか?
(どうせ当たるのなら、宝くじとかロトとかならいいのになあ)

まあ特に思い入れもないので「ご協力していただけますか?」と聞かれて、「いいですよ」と答えれば「ありがとうございます」で、「それでは...」と早速始まる。

「まず、安倍首相が...」とテレビニュースなどで話題になっているテーマで質問してくる。
「それは...」と答えようとすると、「1・首相が悪い、2・大臣が悪い、3官僚が悪い、4・わからない...の4つから答えてください」と来た。

え?その答えから選ばなくちゃいけないの?
だって、俺の答えはその中には無いよ...そんなシンプルな答えから選ばなくちゃいけないなんて...

ほとんど全部の質問がそんな感じだった。
俺の意見はあるけれど、大部分の用意された答えは「帯に短し襷に長し」「敢えて言っても半端だよ」というもので、それが俺の意見となるんじゃ不本意もいいところだ。
それにたまに向こうの期待している意見と一致するなんて時には「そうですよねえ」なんて嬉しそうな反応が返ってくる。 
それでも半分以上はあちらの期待した答えじゃなかったようで、結構な数の質問にかかった時間はそれほど長いものじゃなかった。

世論調査ってのはこうして作られて行くのか...ってのか正直な感想。
多分この新聞社の新聞だけを読んで、共感するなり教育されるなりしていれば、その質問の答えは彼らの期待し喜ぶものになっただろう。
しかし、自分の興味を持ったテーマなら、今の時代ネットでその賛成意見も反対意見も探すことができる。
そうした情報を集めた中で「馬鹿は馬鹿なりに」考えれば、自分なりの最善の意見を作り上げることができるだろう。
しかし、そうして作った意見はこうした世論調査では絶対に表に出てこない、と俺は感じた。

例えば今の安倍首相の政策や行動に対して、自分で様々な方向から調べて考えた意見は決して「良い」か「悪い」かのシンプルな意見に集約できるものじゃない。
「これは賛成出来るしよくやっているけど、こちらに対応はとても賛成したり応援できるものじゃない」ってのが普通の感覚じゃないのか?
ある特定の人物や思想に全面賛成なんてのは、少しでも自分なりに真実を知りたいと考える者には絶対にありえない立場だ。
皆がそんな風になってしまったら、どこかの洗脳された狂信者の国と同じになってしまう。

今の時代、世界の情勢はあまりにも入り組んでいて、答えをシンプルな2択でなんかいける筈がないのだ。
東には傲慢で親切だが上から目線の押し付け大国がいて、西には成金力自慢の成り上がり大国が縄張りを広げようとちょっかいを出してきて、北には昔の力を取り戻したい落ちぶれヤクザのような強面の乱暴者がいて、隣には価値観道徳観が全く真逆の反日洗脳国がともかく日本の足を引っ張ることだけを考えて騒ぎまくっている...こんな情勢の中で、誰が上手く日本の舵を取っていけるのか?
(今の首相は不満な点も腹が立つ点も多々あるが、少なくとも他の政治家よりは頑張って誠実にやっていると思う。)

世論調査の質問事項を聞いていて感じたのが、ネットでの意見と新聞社の質問事項のズレ...「世間はそんなことより、こっちの事件の方を重要視しているぞ?」「過激な意見を取り除いた、静かな多数意見がわかってないぞ」というところ。
これは時間の遅れなのかもしれない(事象が起きた時間とこうした世論調査の質問を作った時間に時間差があって、既に「今」の時間の意見の内容が変わってしまっているという事)。


俺の馬鹿頭では役に立たないこの気持ちとこの意見、「普通の人」とズレている?
俺は「普通」のつもりなんだけど。