ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

「翔んで埼玉」見に行ったんだけど

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ちょっと前に見た「ボヘミアンラプソディー」が結構面白かったので、また面白い映画でも見に行こうかと思っていた。
そこに埼玉自虐映画の「翔んで埼玉」の評判が聞こえてきた...埼玉人に凄く受けているとか、と家族が見たい映画の一番だとか。
この映画はすでに長女が見ていて、その内容に色々刺激されてツイッターで色々書いている、と次女に聞かされていた。
それに知り合いのケニーさんがブログ「ボギーペースで行こう」で、「いや~笑った!」なんて書いてあったしで、期待して奥さんと次女の3人で見に行った。

...そもそも俺は笑える自虐映画というのはっけこう好きだし。



が、内容の紹介はまだ見ていない人に悪いし、細かな描写は差し控えるが....いや~、俺はダメだった。
狂言回しの3人の場面だけは「ニヤッ」と出来るが、本編には全く共感・共鳴できず、その設定に入り込めない。
出てくる要素は自虐の面白さを十分に表現しているのに、そのゲーム設定のキャラクターに全く冷めてしまうのだ。
これは年齢や世代の感受性の違いなのかも知れない...原作者は俺より年上とか聞いたけど...

一番俺的に受けたのは、最後の主題歌...はなわが歌った「埼玉県のうた」だった。
(名所旧跡が何にもなくて、鉄道博物館がオススメ、と言うのは特に納得)

関係ないと思うが、俺は池袋、奥さんは世田谷生まれで、結婚して稼ぎが少ないために都内下町の家賃の半分で住めた越谷に引っ越して来て、もう四十年以上になる。
また東京で暮らそうと言いながら、現実は引っ越す度に駅一つずつ東京から遠くなる暮らしだった。
娘達は二人とも生まれは築地の聖路加病院(奥さんが以前ここに通院していたため)だが、育ちは埼玉の田んぼに囲まれた借家住まいだったために、親達よりずっと埼玉の田舎の自然に染まって育った。
なので埼玉に対する思い入れは、この映画を十分楽しむほどには強かったようだ。

なのに俺は
ああ、笑いたいのに笑えねえ...
要素満載なのに、乗ってけねえ、入り込めねえ...

笑っていたのは若い人ばかりだったなあ。

ちぇっ!