ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

馬鹿発見器の怖さ

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自分は名前を出してブログを描いているが、他のSNSと呼ばれるソーシャルネットワーキングサービスには参加していない。
今盛んなフェイスブックにもツイッターにも参加していない。

このゴルフブログは仕事にも関係していて、ネット利用の仕事ばかりになってしまって実際に会う機会の少なくなった編集者に、「まだ生きて仕事をしているぞ」なんて事知らせる意味もあったり、ゴルフ絡みでの思わぬ付き合いが広がったりする楽しみの為だったりする(最近の殆どの付き合いが、このブログから知り合った人達というのには正直驚く)。
...今じゃあ、実態は「お寒いライフワーク」のようなものにもなって来た。


そしてこういうブログをやっていると、よく「フェイスブックはやらないの?」とか、「ツイッターはやらないんですか?」なんて聞かれる。

「絶対にやらない」と答えると皆一様に驚く。
それに自分はかえって驚いてしまうが、みんな何故平気であれを利用しているんだろう。
フェイスブックは以前あったミクシイなんかと(自分にとっては)同じようなもので、閉鎖的な空間での「実名」でのやり取りが人気になっているけど...これは本名を出して世間に公開しているブログをやっている自分にとっては、わざわざ閉鎖空間で発表して「知り合いに褒めてもらう」なんて気が全く無いので参加する気はハナから無い。

そして、ツイッター...
これが出て来たとき「なんて危険な代物なんだ」と感じて、「オレは絶対にやってはいけない」と決めた。

オレみたいに浅はかで軽薄で愚かで臆病で短気な人間に取っては、ツイッターと言うのは「深く考えもせずに世間に向かって取り返しのつかない言葉を吐いてしまう」罠になるのは間違いないと強く感じた。
本名でやっているブログは、描いた後発表する前に必ず一呼吸おいて、見直して書き直したりするし、なんてつまらん事を描いたんだ、なんて消去して反省もする。
しかしツイッターは、簡単なつぶやきを何の考えも無く簡単に発信出来る代わりに、それはもう取り消しも反省も出来ずに世間に公開されてしまう....そしてそれは永久に残る。
その場の気分で感じた事をそんな風に世間に吐いてしまったら、オレはあとでどれほど後悔する事になるか恐ろしくてしょうがない。

ネット上にはそのツイッターが、「馬鹿発見器」としての能力を最大限に発揮して暴れ回っている。
若いヤツの悪戯から、いい年になって社会的な地位もあるものまでが、匿名での悪口雑言がバレて社会から非難され攻撃され、結果地位も生活も無くしてしまうと言う事件がずっと続いている。
ちょっとその場の雰囲気や感情で呟いた事を世間にすぐに発信してしまうと言う事が、どれほど危険な事か判らないんだろうか。
匿名...ペンネームやハンドルネームで隠れている...なのをいいことに、自分は安全な場所にいると勘違いして悪口雑言を吐く人間と言うのは確かにいる。
今は付き合いを断ったある男も、普段は高尚な思想を語り真面目そうに見える男だったが、匿名の仮面をかぶるとハンドルネームを替えて卑劣な言葉を暴力的に書きつけるような男だった。
匿名に隠れて発する醜い言葉が、本当の自分の正体だと言う事に何故気がつかないんだろう。
そんな醜い言葉を世間に発信する事が、自分の醜さを拡大している事を何故自覚出来ないんだろうか?

オレは自分の本心が奇麗じゃないのが判っているから、匿名の誘惑からは逃げ続けている。
しかし、仕事に差し障りがあったりしてハンドルネームを使わなければならない場合は、確かにあるだろう。
実名では危険な場合だってあるかもしれない。
しかし、その「匿名」に隠れて醜い言葉を投げつけるのは、どんなに立派な社会的な地位があったにしても、「本質はただの卑劣漢」で「ただの犯罪者」で「本物の卑怯者」だ。

ツイッター...「馬鹿発見器」は危険だ。
普通にあれを無事に問題なく利用している沢山の人達を、オレは普通に尊敬する。

でも、ちょっとでも自分が「短気だ」とか「軽薄な部分がある」とか、「お調子者」とか「軽い」とか感じる人は、書き込む前に絶対にちょっと待った方がいい。
あれは本当に自分の馬鹿さを世間に発表する為の「馬鹿発見器」なんだと、頭の中に刻み込め。

顔を隠して見せてるその姿、顔が見えても平気かい?



オレは絶対にやらない(笑)。