ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

打った時の格好を大事にしすぎると...

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「打った時の格好を大事にしすぎると、格好だけ一人前の中身がないスイングになる」...佐藤精一。

佐藤精一は我孫子出身で、1960年代から1970年代にかけて日本オープン・日本プロ・関東オープンなどを制した。
身長160センチの小兵ながら、切れの良い技と素早いスイングによって「早打ちマック」と称せられた。
80歳を超える現在でも続けているレッスンのその独特のレッスン語録は、どの言葉をとってもゴルフスイングの核心を突いた名言と言える。

この言葉、多くのゴルファーがそれなりに打てるようになり、それなりにスコアが出始めると必ずかかる麻疹のような病気の事を言っているんだと思う。

高校生くらいまでの若い時にゴルフを始めた人は、だいたいスイングは他人から見て「奇麗」と呼ばれる形になる。
特に小学校くらいまでに始めると、誰に教わらなくても大体理にかなった形になる。
それは、その体力に対してクラブが重すぎるために、自然に自分の腕力ではなくクラブの遠心力で振るようになるから。
オーバースイングは年齢が上がって体力がつく程に直って行くし、遠心力で振るからはじめからドローボールになる。
スイング軌道が自然にインサイドインになるため、スライスで悩む事はない。

ところが30代40代からゴルフを始める人はそうはいかない。
その体力に比較すると、あまりにゴルフクラブは軽すぎるし、ボールは小さい。
地面に置かれた小さなゴルフボールを打つのには、ゴルフクラブはあまりにも長過ぎる。
そこで頭で考えて、自分なりにやりやすい方法で小さなボールを打とうとする。
空振りするのは恥ずかしいから、手だけで上から叩きに行く。
これで、テレビに映るプロ達のような奇麗なスイングになるはずがない。
特に他のスポーツをやった人は、そのスポーツの動きに近い動きで打たなければ当たらないと感じて、それぞれ元のスポーツの「コツ」を生かす形のスイングを作り上げる。
...勿論、はじめからレッスンプロについた人は別だけど。

そうしたそれぞれの(かなり懸命な)努力の結果、ラウンドを楽しむ余裕ができるのは何年後か...
ふと気がつくと、自分のスイングが「美しくはない」事に気がつく。
テレビに映るプロのスイングと比べると、とても同じスポーツをやっているとは思えないほど違う。
オーバースイング・シャフトクロス・カット軌道・左肘の引け・明治の大砲・飛ばない・曲がる...
自分のスイングは悪いところばっかりで、良いところなんて一つもない。
「なんとかしなくちゃ」

それから血のにじむような苦労が始まる...オーバースイング一つ治すのだって、本当に難しい。
でも、ひたすら「形」を追いかけて、練習に練習を重ねてなんとか形を整えて行く。
シャフトクロスだってカット軌道だってそう。
なんとか他人に「酷いスイング」と言われないような形になるのは大変だ。

だが佐藤精一は、こんなに努力して「形」を整えたスイングが「中身がないスイングになった」と言う。
自分でも、そう感じていないか?
「以前より飛ばなくなった」
「いろいろな変化するライに対応出来ない」
「気持ちがすっきりしない」
佐藤精一はインパクトを大事にする。
「ボールを打つ」1点が大事で、その前もその後もただの過程に過ぎない、と。
どんなバックスイングだろうが、どんなフィニッシュだろうがその形はどうでも良い事。
「ボールをどう打つか」、が問題だと。

どんなに個性的なスイングでも、ボールにその人なりのパワーと意思を込めてきちんと捕まえて打てれば、それは良いスイング。
どんなに形が良くても、ボールにきちんと気持ちが伝わらなければ、それは良くないスイング。

実際に長くゴルフをやっていると、若いときからゴルフをやっていた人の癖のない奇麗なスイングより、その人なりに作り上げた個性的ではあるけど「自分の思うように癖球を操っている」変則スイングの方が素晴らしく思えてくる。
ゴルフはスイングフォームが奇麗だからといって、スコアが少なくなる事はない。
中身が一人前なら、もうスイングフォームを気にし過ぎるのはやめた方がいい。

自分がイメージした球が打てたなら、それがきっと自分に一番いいスイングなんだから。