ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

「スイング」の前に「ショット」を考えろ

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「スイングの前にショットを考えろ」...ジム・フリック。

レッスンプロとして著名なジム・フリックの「アメリカ打法」の中の言葉だが、ある程度ゴルフに熱中している真面目なゴルファーの盲点を突いたような言葉だ。

向上心が強い練習熱心なゴルファーは、どうしても自分のスイングの欠点を直し、より自分の理想とするスイングを作ろうと努力する。
が、その努力はそう簡単に報われるはずがなく、ショットの度にどこが上手くいかなかった、どこが少しだけ出来た、あそこをこうすれば良かった、と常に反省しチェックを続ける。
それは練習場では上達を早めるのに有効な事だし、下手を固める練習になり難い事でもある。
多くの時間をかけ数多く球を打つ努力は、やがて希望のスイングに近い形に出来上がっていくはずだ。

だがそういう真面目で向上心旺盛なゴルファー達の多くは、コースに行っても同じように自分のスイングにこだわり、常に一打一打のスイングにチェックを入れてしまう。
しかし、コースでは練習場のように同じライから同じようにスイング出来るなんて事は絶対にない。
ティーショットだって、目前の景色に影響されて、練習場ではあり得ないところが緊張し、力も入る。
ゴルフは「景色」のゲームだ、とも言われる所以である。
おまけに風が吹き、ティーグランド自体にも傾斜がある場合が多い。

そんなコースでのスイングが、何かの間違いで上手くいけばいい...自分がやりたかったようなスイングが出来た、と感じたならそれでいい。
しかし、アベレージゴルファーなら90パーセントは、何かしら不満の残るスイングになるだろう。
一寸肩の入りが浅かった。
右にスエーした。
右肩が下がった。
手で打ちにいった。
外から入った。
上半身が突っ込んだ。
シャフトが寝た。
肘が引けた。
ダフった、トップした。
....
ミスした要素なんか無限にある。
そして、そのミスを自覚してその対応をすれば、大抵今度は逆のミスになる。

ここでフリックの言葉だ。
スイングを考えて、そのスイングが完全になって結果良いショットになるのに、どのくらいの数のコースでのショットがいるのか...あるいは完全になる事があるのか?

それよりは、まずそのホールのその一打で「どういうショット」を打つかイメージする。
そして、そのショットをはっきりイメージ出来たら、そのショットをどう打とうか考える。
ショットのイメージにスイングを合わせていくのだ。
ジム・フリックは、ショットの前にそのショットのイメージが自然に浮かぶようになると(潜在意識がショットをイメージする)、緊張感や力みを防ぎ、練習場で出来たような自分のやりたいスイングが出来やすくなると言っている。

実際問題、潜在意識の話まではいかなくても、その一打の前に考える事を「そこでのスイングをどうする」ではなく「どういうショットを打ちたい」かにした方が、よりコースでのラウンドを楽しめるのは確かだ。

つまり、スイングを悩むのは練習場で。
コースではショットをどうするかを考える。

ジム・フリックの言いたい事とは違うかもしれないが、自分に都合良いように解釈するのがこのコラム。
ゴルフを苦しむよりも、ゴルフを楽しむ方向に考えていかなくちゃせっかくの時間がもったいない。