ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

コース上に笑えるような事など何もない。

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「コース上に、笑えるような事など何もない」...ベン・ホーガン。

ベン・ホーガン、言わずと知れた名手であり、理論家であり、鉄人とも呼ばれた意志の強さを誇るゴルファー。
ツアー64勝、メジャー9勝。

だが、この言葉は嫌いだ。
これは、職業ゴルファー...賞金稼ぎで生計を立てていた、仕事でゴルフをやる人間に対してだけの言葉だろう。
一般のゴルファーに対して、そんな事を言ったとはとても思えない。
それとも、他にもっと深い意味があるんだろうか?
私にはわからない。

でも普通のゴルファーにも、こんな名言を守ってニコリともせずにゴルフをする人間がいるのも事実。
「何が楽しくてゴルフやってんだか!」なんて、言いたくなるような「嫌な奴ゴルファー」だ。

自分のゴルフだけに集中し、どんなアンラッキーな場面でも感情を表さないようにするのは、それなりに共感出来る。
あるいは、心に思うところあって、その日のゴルフ、そのショットにこだわって、自分のゴルフライフを賭けたラウンドだった、とか。
そして、思い入れと気合いを込めた競技で、全身全霊を賭けてスコアにこだわるラウンドだったとか。
でも、それでも「笑えるような事は何もない」というのとは違う。

まして普通のゴルファーにとっては、どんなに真剣で小遣いのすべてを懸けていても、あるいは食べ物さえ我慢してラウンドしていたとしても、死ぬほど本気であっても、ゴルフは趣味で遊び。
コースを楽しみ、そこにある自然を楽しみ、その日のラウンドをともにする人との会話も楽しむ。
たとえ、その日がどんなに自分にとって期待外れのラウンドであっても、それまでの努力が水の泡になるようなラウンドであっても、楽しんでこその遊び。
ボールの行方がどんなに屈辱的な方向に飛ぼうとも、どんなに自分のパワーが的外れの動きにしかならなくとも、「心で泣いて、顔は笑って」がゴルフファーの心意気。
そんな経験が、ゴルファーに深みを作るってもんだ。

それで金を稼ぐんじゃなかったら、ゴルフは所詮ただの「遊び」。
だからこそ、醜く卑屈で心が狭く仏頂面のゴルファーにはなりたくはない。
空が青けりゃ、笑う。
木々の色が変わっていけば笑う。
風が気持ちよければ笑う。
(アホみたいに冷たい寒い強風だって、顔引き攣らせて無理矢理笑うさ)
自分がお馬鹿なプレーをすれば、腹を抱えて笑う。
珍プレーを見れば笑う(これは失礼かもしれないなあ、本人が笑わなければ)。
いいスコアだったら笑うのは当たり前、大叩きしたって笑ってしまう。
...ゴルフってのは、笑うもんだ。
だって楽しいんだから。

嫌な奴。
どんなに上手くても(上には上がいるのに)、それだけが人間の価値まで決める基準になっている奴...一緒のゴルファーのプレーを、汚いものでも見るような目つきで見てニコリともせずにプレーする奴。
自分は上手いと思っていて、自分のミスはみんな他人のせいにして、不愉快そうな顔でずっとプレーする奴。
下手なくせに、それに苛ついて嫌な顔だけ見せる奴。

ベン・ホーガンさん、我々はゴルフは笑うためにやるもんだ。
他人を馬鹿にした笑いや、迷惑な大笑いは別にして、ゴルフ場には笑いがたくさん落ちている。
かのウォルター・ヘーゲンだって、「せめて道ばたの花の香りを楽しめ」って言っているじゃないか。
花の香りをかぐ時は、誰だって微笑んでしまうだろう?

どんなにストイックにゴルフをしていたって、微笑む事まで忘れたラウンドでいい結果は出ないと思うよ。

凡ゴルファーには名言とは思えない名言てのも、あるってことかな。