ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

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全英オープン話(2)『日本人ではないけれど』 「掘っくり返し屋のノート2」

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日本人が全英OPに初参加したのは1932年のプリンスズGC大会で、当時のトッププロ宮本留吉であることはよく知られている。
 彼は本戦で79・79=158を打ち、カットラインに四打足りず本戦予選落ちした事が『The Open Championship Official Site』掲載の順位表に記録されている。
 宮本プロの参加は日本ゴルフ史に永久に残るであろうが、この二十三年前1909年のディール大会で日本の神戸GCを代表して参加した者がいた事は全く知られていない。

 その人物はH.E・ドーント、ロシア系英国人で日本に来る前はセイロンの紅茶貿易で成功し1904年の来日の際は石油会社スタンダード・バキュームオイル社日本支店の総支配人を務めていた。
 彼はスコットランドでゴルフを覚え、来日してすぐに神戸GCに入会し、世界中のコースを渡り歩いていた下地があった為、クラブ随一の名手として名を馳せている。
 戦績も24年の帰国までにクラブ選手権六回優勝の他、クラブキャプテン、横浜の日本レースクラブGAとの対抗戦代表を務めており、日本Amでは第一回から1914年までに二位が三度と運に恵まれなかったが1915年に大魚を手中にしている。

ドライバーのフォームは見苦しいと批評されたがアイアンが上手く、彼の堅実なゴルフは有名で、神戸GCキャディ出身の宮本プロは『クラブで一番上手かったドーントさん』と振り返っている他、日本のプロの祖、福井覚治も彼のスウィングを参考にしていた。
また、日本のゴルフを英ゴルフ雑誌に紹介した最初期(1904)の人物であり、1927年度日本プロ・関西OP勝者中上数一(1894~?)のキャディ時代からの後援者で、世界的なゴルフ書コレクターであった西村貫一氏のコレクションの基は彼が帰国の際に贈呈した物であった。

更に彼は創世時の日本ゴルフ界の重鎮であると共に、登山家としても有名で、六甲山をはじめとする山々に足跡を残し、日本近代登山の祖であるウォルター・ウェストンとも親交があり、日本山岳会初期の主要外国人会員として同会会報の英文欄の編集や、神戸の登山同好会発行の登山とゴルフ会誌『INAKA』(1915~24十八冊発行)の編集を担当している。

さて、ドーント氏がいかなる理由で英国に行ったかは判らないが、神戸GCのメンバーとしてミュアフィールドでの全英Am(5/24~)とディールでの全英OP( 6/8~)に参加したことは紛れもない事実である。
この事は数年前R&Aの競技記録本の1909年度全英Amの欄を読んでいたら偶然『H.E Daunt Kobe Japan』の文字を見つけ(初戦でH.M・バーリンガル大尉に4&3で敗退)非常に驚いたのだが、全英OPの記録は同書にもオフィシャルサイトの順位表にも載っていなかった。
その為しばらく気に留めていなかったが、当時はどのプレーヤーも本戦出場予選から参加しなければ成らなかった事を振り返り、今年になって英国のゴルフ年鑑『The Golfing Annual 1909-10』を調べてみると、在った…

この大会には209名がエントリーをして、6月8~9日の2回に分けて(1日)36Hの本戦出場予選が行われ、69名が本戦に出場しているのだが、(カットライン161、同スコア八名の内四名が進む)ドーント氏の名前は予選順位表の後ろから数人目に載っている。
彼は第一ラウンドで棄権をしてしまい本戦に進むことができなかったのだ。
この為、本戦のみを扱っている先記の記録集などには載っていなかったという訳だ。

彼が日本人では無かった為、また成績不良であった為、日本のゴルフ史に(私が知る限りでは)記録されず、R&A競技記録集にも全英Amのたった一行の記録しか残っていないが、
ドーント氏の挑戦は当時まだ圧倒的ゴルフ後進国であった日本のクラブを代表したものであり、この事はきちんと取り上げられてしかるべきだと私は思ってならない。



・参考文献
神戸ゴルフ倶楽部史       神戸ゴルフ倶楽部 日本写真印刷 1966
神戸ゴルフ倶楽部100年の歩み  神戸ゴルフ倶楽部 2003
日本のゴルフ史(復刻版)     西村貫一 雄松堂 1976
日本ゴルフ協会七十年史     日本ゴルフ協会 1994
日本ゴルフ全集7 人物評伝編  井上勝純 三集出版 1991
The Golfing Annual 1909-10   David Scott Duncan編集
Royal and Ancient Championship Records 1860-1980  R&A 1981
プレイラウンド六甲山史 棚田真輔、表孟宏、神吉賢一共著 出版科学総合研究所 1984
日本山岳会百年史 日本山岳会 2007

・参考サイト
The Open Championship Official Site (1932年大会順位表)

松村信吾