ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

ゴルフは私に、いかなる不運をも...

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「ゴルフは私に、いかなる不運をも甘んじて受け入れる、という自制の美徳を教えてくれた。」...フランシス・ウィメット。

フランシス・ウィメットは、1913年に全米アマと全米オープンを制した、生涯アマチュアを通した名ゴルファー。
その、当時を代表する有名プロゴルファー、ハリー・バードン、テッド・レイという2選手を降した、1913年の全米オープンの試合の様子は、「ザ・グレイテストゲーム」という映画になっている(これは今でも見ることが出来る)。
マチュアとして数々の実績を残し、後年米国人としては始めてのロイヤル&エンシェントGCのキャプテンに任命された。

さて、この言葉を読むと、つくづくゴルフって奴は「やせ我慢とカラ元気」プラス「誇り高い心意気」が必要なゲームだということを思う。
よく、「運と不運は同じ数」とか、「ラッキーもアンラッキーも同じ量」なんて言われるけれど、数多いる普通俗物凡ゴルファーにとっては、「自分の幸運対不運の比率は1対9」が実感じゃないのか。
あんなに練習したのに...
ずっと頑張って努力しているのに...
前より上手くなっていると思っていたのに...

で、ウィメットのように考えられない凡ゴルファーは、自分の不運を嘆くだけじゃなく、
コースのせいにする
クラブのせいにする
同伴競技者のせいにする
天気のせいにする

身に覚えは一杯あるから、書いてて赤面の至りだけど...これはやっちゃダメ。
腹の中では煮えくり返っていても、「顔で笑って心で泣いて」がゴルファーの心意気。
ウィメットの言葉をかみしめて、己を恥じて、やせ我慢をするしかない。

ここで道を間違うと、ウィメットが別に言っている
「ゴルフでごまかすことは簡単だ。しかし、ゴルフ程それをやってしまったものが軽蔑されるゲームはない。」
の言葉を覚えておくしかない。

上手く行かない、コースが悪い、同伴競技者が悪い...そんな理由で、叩き過ぎた数字が気持ちに重くのしかかる...「オレはそんなに打ったのか?」「本当にこんな数字か?」と悪魔が心にささやきかける。
打数を少なく言う・・・過少申告だ。
しかし、悪意でそれをするものは本当はごく少ない...と言うか、今まで会ったことはない。
しかし、うっかり数え間違えた、ということは自分も覚えがかなりあるし、誰でもよくあることだ。
バンカーですぐに脱出出来なかった、林の中で何回か木に当たった、お先にを失敗したりしてパット数が判らなくなった...とか。
そんな時には、念には念を入れて数えていても、何かを抜かしてしまったり...同伴競技者に指摘されて、恥ずかしい思い一杯で訂正する、なんてこともあるだろう。
ただ、これは普通の誰にでもあることだから大目に見てもらえるが、もし同じハーフで2度も3度も間違えるとそうは思われなくなる...気をつけなくてはならない。

ウィメットの言う「自制の美徳」、これがちゃんと備わっている人はきっとゴルファーとして好かれる存在になっているだろう。

我々にとっては「自制」というのは「やせ我慢」。
胸はって頭を高くして歩くには、「顔で笑って心で泣いて」。

まあ、なんてゴルフって奴は、大変な遊びなんだろう(笑)。

それに、自分だって「やせ我慢」しているつもりだけど...最近太って来ちゃって、どう見たって「デブ我慢」としか見えないし。

やっぱり、やせ我慢のためにも...ダイエットしなくちゃなあ。