ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

練習する人

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駅からちょっと離れた住宅街の奥、気分転換に散歩する道沿いの家の庭でその男を見かけた。
年は60代...と言っても、それは最初に見かけた10年以上前の話だが。

たまたま、午後3時半に通りかかったので気がついたのだが、男は毎日雨が降らない限り、3時から4時までのほぼ一時間ゴルフの練習をしていた。
最初に気がついた時には、自分の家の駐車スペースにマットを敷いて、そこに紐のついたプラスチックのボールを乗せて打っていた。
男の振っているクラブは、古いスチールシャフトのパーシモンのドライバーと、これも古いスチールシャフトのフラットバックアイアンだった。

いつも真剣に顔を真っ赤にしてボールを打っているので、立ち止まるとその練習の邪魔をするような気がして、話しかけたりは出来なかった。
スイングは、トップでシャフトがクロスし、フォローで左肘が引けて右足に体重が残ってしまう、典型的な自己流ダッファーのスイング。
しかし、同じリズムで紐のついたボールをマットにセットして、フルスイングする...それを、見事な集中力で繰り返していた。

しかし、「マットの上からプラスチックのボールを打つ」と言う動きは、静かな住宅地では意外に大きな音が響き、離れていても「あ、また彼が練習しているな」とよくわかった。
少しその道を歩かない時期が続き、しばらくの時間をおいてその道を通りかかったとき、音が違っているのに気がついた。
見ると、練習する雰囲気は同じだったが、紐のついたプラスチックボールではなく、マットにセットしたゴムティーをボールのように真剣に打っている。
その音は、以前の「ビシュッ・カツーン・カランカランカラン」から、「ビシュッ・ビチッ」となって、音が大分静かになっていた。
...紐のついたプラスチックボールが壊れたか、あるいは周囲の家から「うるさい」と言われたか..

そのゴムティーを打つ練習は、何年も続いた。
そんな単調な練習をよく毎日続けられるものだ、といつも感心していた。
一回一回、彼のスイングの真剣さは途切れない。
スイングも、初め見かけた時と変わらない。
ただ、ゴムマットはだんだんすり切れて、緑色の部分は薄くなってきて、彼のパーシモンも遠目にも傷んで来ているのが判るようになった。
グリップも、明らかにすり減っていて、彼のグリップした形に凹んでいるようにも見えた。
アイアンも錆が目立って来た。

また時間をおいてその道を通りかかると、その練習音が聞こえなかった。
彼の練習していた家の駐車スペースの横には、以前見かけた時よりも更に擦り切れたマットと、古いクラブが2本、家の壁に立てかけてある。
「練習時間を変えたのかな?」
「それとも...」

それから半年くらいの間、通りかかるたびに見ると、マットとクラブはそのまま置いてあった。

それからまた時間が過ぎて、最近通りかかったその家には、もうマットもクラブも無くなっていた。
彼の姿も、ずっと見ていない。


今でも、散歩してその家の近くを通るとき、なぜか耳には彼の練習している音が聞こえる気がする。
ああ、そうだ。
俺も、あなたぐらいに真剣に練習して、真剣にスイングしなくちゃいけないね。