ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

天下の暴論-25

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「名門」なんて、普通のゴルファーには一生関係のない世界。
憧れることも、「遊ばせて頂ける」事も考えない方がいい。

なんて、異論反論の出ることだろうなあ...

何故こんなことを書くかといえば、必ずゴルフ週刊誌に載っている「憧れの名門コース」とか、「名門ではこうしている」とか、「本物のクラブライフはこれだ」とか、「名門でのマナーはこうだ」とかの記事がいちいちカチンと来るからだ。

例えば、名門でのレストランでのマナー。
...余計なお世話だ。
名門では、支配人や理事長との交際は、こんなに洒落ている。
...そんな人は、俺の人生とは関係ないよ。
名門ではこんな風に時間を過ごす。
...テレビのCMの世界かい? 我々の世界じゃあり得ない。

そりゃあそうだろ。
昔からある本物の「クラブ(倶楽部)」というのは、限られた(選ばれた)世界の人間が同好の士を募って作り上げた「閉鎖的」な集まりのことなんだから。
同じレベルの人間達にでも閉鎖的なことが売りで、だからこそその会員達の結びつきも深まり、会員達の居心地の良いものとなって行く...関係ない(下の)クラスの人間なんて、全く眼中にないのが当たり前なのだ。

そこまで徹底しなくても、古い「倶楽部」というものは選ばれた少数の人間の居心地が良くなるように作られ、運営されて来たものだ。
だから、そこに伝わるエピソードというものは、彼等にとって凄く「いい話」ばかりなんだけど、我々庶民ゴルファーには「身分と家柄と資産」に恵まれた方々の、遠い世界の戯言に過ぎない。
それをさも素晴らしい話のように紹介して、我々に薫陶を垂れようとしている雑誌の姿勢が鼻持ちならない。

考えてみれば、自分が始める前に毛嫌いしていた「ゴルフ」の姿がそれなのだ。
本物の古い名門の方々ではないと思うが、大金持ちだけがやるようなゴルフ場での、珍妙な格好とドタバタのプレー....大した当たりでもなさそうなのに、歯の浮くような言葉で褒め合う言葉のうさんくささ。
やっと穴にボールを入れた時に、大げさに喜んだり、褒め合ったり、慰めたりする姿の気色悪さ...

(実はそれらのほとんどは、自分が実際にゴルフを初めてから、ある程度気持ちを理解出来るようになったものなのだが)

週刊誌などが「憧れの」と冠をつけて記事にする「名門」コース。
まず普通のゴルファーにはプレーする機会は一生無い。
もしプレーするチャンスがあったとしても、馬鹿高いプレーフィーを払って、もったいをつけられながら、(そのコースの)無知を笑われながら「プレーさせて頂く」だけだ。
そんな価値があるんだろうか?
そういうコースとは、一生関係無し、でいいんじゃないか?
閉鎖されている「クラブ」の中に、無理矢理入ってプレーさせて頂かなくてもいいんじゃないか?
(現実にはそういう名門コースは高齢化が進み、アクティブメンバーが少なくなったので、営業上高いプレーフィーでビジターをプレー「させてやっている」所が少なからずあるとか,,,)

幸い(不幸にもと言うか)、バブルが弾けてから後、古くはないが名設計家が設計したいろいろなコースを安くプレー出来る環境になった。
名門に関係しなくても、プレー出来るいいコースは沢山ある。

...あの広野をはじめとして、「名前だけ知られた名門コース」はいろいろある。
が、そういうコースは一般のゴルファーがプレーすることはできないのだから、いちいち雑誌に載せても何の意味もない。
我々がうらやましがる必要はない、プレーしたいなんて思ってもいけない。
我々の「ゴルフ」から、そんな意味のない名前は一切消去して、ゴルフライフを送ればいい。

だから、ゴルフ雑誌は、いちいち「名門コース」がどうしたこうしたなんて記事を乗せるんじゃない!

我々は「あるがままに、周りに迷惑をかけずに、自分に有利にならないように」を基準に考えて、我々の「世界」のゴルフを楽しむ。

繰り返す。
我々に「名門」の記事なんて、何の価値もない!