ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

恥を知る国

イメージ 1

被災地には無情の雪が降り、原発は未だ収まらず...それに停電、物不足が追い討ちをかけている。

千年に一度と言う、未曾有の災害のニュースがずっと流れている。
その災害を受けた人々の姿は、涙無しでは見ていられないものばかり。
...この災害の前迄の、「最近の日本は...」という言葉には否定的なものが多かった。
曰く「拝金主義」「欲ぼけ」「色ぼけ」「無気力」「刹那主義」「身勝手」...等々。
しかし、いざこのような大災害に対処した時に、この民族の心の奥底にはなんていう強い芯があったのかと感嘆する。
どんなに物不足になっていても、打ち壊しや略奪は起こらない。
弱いものを押しのけて我先にという事は、酷い状態の場所では絶対に起きない。
助け合う事、譲り合う事が困難な状況の時こそ自然にできる民族。
世界に、災害にあった人々がこんな事を普通に出来る民族が他にいるだろうか。

こういう人々が普通にいる事が「民度が高い」と言う...決して「民度が低い政治家」に言われる筋合いの言葉ではない。
本当にひどい災害の悲しみの中で、なぜこれほど淡々と気持ちを抑えて行動できるんだろう。
自分が考えつくのは、日本人の心の奥底にはやはり「恥を知る」という心が染み付いているんだろうという事。
誰が見ていなくても「お天道様が見ている」と言っていた我々の先祖達。
そんなDNAが、きっと我々の血の中にしっかりと流れているんだろうと思う。

被災地のニュース映像を見るたびに、つくづくそう思う。
そんな普通の人々に比べ、いろいろな人災の責任者達に「恥知らず」が多い事が残念でしょうがない。
ひょっとすると、出世する事や偉くなるためには「恥を知る心」を捨てる事が必要だったのかもしれない...受験やら出世競争のシステムが、本来の「恥を知る」立派な人々を排除して来たのかもしれない。
それこそ、現代日本の間違ったところだったのでは?

今日本中の「恥を知る」人々が、自分の出来る援助の手を懸命に差し伸べようとしている。
「恥知らず」は、安全な場所で不要不急のものを買いだめと買い占めに走り、援助の足を引っ張っている...

我々が出来る事は限られているけれど、それぞれの立場で今は考えてみよう。
「自分に何が出来るのか?」

計画停電で、電気の来ない夜...数年前のキャンプ用のライトと、その時に使い切れなかった「まだ生きていた乾電池」で暗いけれど確かな光を得て、厚着をして暖かくない炬燵に入って、そんな事を考えている。
こんな状態、あの人達に比べれば...