ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

余計な戦い

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26日の通院は、まず受付をしてカードだけ出した後、本人は待合室には出来るだけ短い時間しかいないように計画した。
待合室には俺が代わりに居て、「次」にうちの奥さんの診察の順番が来たら携帯で連絡する。
奥さんは駐車場に停めた車の中で待ってもらって、なるべく他の患者さんと接触がないようにする。
診察が終わったら、すぐに彼女だけ車に行っててもらい、後は俺が金を払って終わり。

これで大丈夫だと思うが....


この武漢肺炎、今現在の状態としてマスコミ、特にテレビの煽りが酷すぎると感じている。
都知事の「週末外出自粛要請」で、まずネット上に「都内の何処かのスーパーで買い占めパニックが起きて、商品がなくなった」とのニュースが流れた。
これに対して多くの人が「うちの方ではそんなことは全く起きていない」、「パニックを煽るような書き込みはよせ」「デマを流すな」と書き込む。
実際に「パニックが起きてる!」と書き込む輩の文には、病的放火犯が火をつけて騒ぎを楽しむような悪意の籠った匂いがあり、それを打ち消す書き込みには「踊らされるな!」「騙されるな!」なんていう冷静な人間の警告の匂いがあった。

実際に俺のうちの方ではどこのスーパーにも全くそういうことは起きていなかった。
大多数の書き込みにも、「それほど日本人はバカじゃない」とか「みんな冷静だから、そんなデマには乗らないよ」とかいう落ち着きがあった。
...ただ、俺は「これをもしテレビで取り上げたら、またパニックが起きるかもしれない」という不安を感じていた。

なので、もし翌日のニュースの時間にこれをパニック感たっぷりに流すテレビ局があったら、そのテレビ局こそ自分で火付けして燃え上がる火を見て楽しんでいる、社会の敵なんじゃないか?と俺は思った。

...だけど、結局ほぼ全部のテレビ局は、今日のニュースで空っぽになったスーパーの棚の映像と、レジに長く並ぶ人々を写して「パニックになって食料品が品切れ!」と放送していた。
そして、そのニュースの最後に、「食料品は供給量が十分ありますので、パニックにならないでください」なんて言葉を、申し訳程度にくっ付けて。
これが「パニック煽りじゃなくてなんだというんだ?」
東京近郊のうちの方ではどこも今までと同じで、パニックになんかなっていない。
だが、このニュースが流れた後、急に保存食品や冷凍食品・インスタント食品を買いに来る人が増えた。
もちろんこんなニュースを見て、焦って買いに来た人たちだ。
あんなニュースを繰り返し何回も流すほど、騙されて慌てる人は増えていくだろう。
彼らは、日本人に無理矢理パニックを起こさせたいのか?
放送しなくてもいいごく一部の事件を、「日本中どこでも」起きている事件のように放送する。
静かに耐えて遠慮がちにみんなと助け合ってやり過ごそうとする人達に、「なくなったら大変だぞ!」「今のうちに他人より先に手に入れろ」と煽る。
...なんか違う気がしないか?

我々は、神戸でも、東北でも、熊本でも...日本中北から南まで、普通じゃ考えられないような災害が起こっても、我々日本人は庶民一人一人が耐えてパニックを起こさず、冷静にみんな一緒に頑張って来た。
買い占めパニックには、「自分だけ助かればいい」「他人のことなどどうでもいい」という今までの日本人らしからぬ「強欲」と「恥知らず」「吝嗇」で「下衆」な考えが根底にある。
これは、一体どこの国の人間の考え方なんだろう。

武漢肺炎という、得体の知れない感染症も怖いが、その病気がもたらす風評の数々がなんだか日本人の心を変えようとしているようで怖い。
パニックのニュースの向こう側に、それを見てほくそ笑んでいる大きな悪意が居るようなのが怖い。