ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

問われているのは...

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昔からよくある「寓話」に描かれて来た、そのものの様な展開だ。

貧しく生まれた成り上がり指向の強い男が、必死に学業に励み、立派な学歴を造り、貪欲に金を貯め、人の上に立つ権力を求める。
そして成り上がって権力を掴むと、自由になる「自分の金ではない公金」を使い放題に使って贅の限りを尽くす。
自分の金はびた一文出す気は無いが、税金等の他人の金なら権力を持ったものの権利とばかりに際限なく使い続ける。
そんな人間の行く末は寓話では決まっているんだけれど...


多分、あの男は塀の向こう側に落ちない境界をわきまえていて「これぐらいなら大丈夫」と確信しているんだろう。
釈明会見でも「辞める」なんて事は一度も言わなかったし。
でも、あれを見た「普通の人々」にとって気になったのは、有罪だろうが無罪だろうが関係ない所なんだよなあ...
「法律的」には罪に問われないギリギリな所なんだろうけれど、先に描いた寓話の登場人物の様な薄っぺらな成り上がりものの品性があからさまになってしまったと言う事...
てっぺんに立った喜びで、地味な仕事より他人の金での豪華な外遊、それも泊まるのはスイートルームやVIPルーム、豪華な食事にオープンカーでパレード、公用車で毎週別荘通い、それに日本人の保育園よりあちらの国の高校を独断で、と呆れる程恥知らずの浮かれた行動の数々。
その反対に、家族旅行を会議費で落とす...正月二日に温泉旅館で家族旅行中に会議というバカバカしい言い訳も言い訳だけど、例えそうだとしても家族の飲食費宿泊費迄経費にした事に始まるそのせこさ浅ましさ。
ハンバーガーの話やヤフオクでの話も同じ、普通に感じるのはその人間性のシタシナさ。

罪に問われなくても、その人間の本性がこれだけ明らかにされたら、普通なら恥ずかしくて大きな顔で高尚な事なんてとても言えなくなってしまうだろう。
それだけで人の上に立って仕事を進めるなんて、もう無理な話。
こうなれば、出来るだけ速くその人間性が全て暴かれる前に謝罪して辞めた方がいいと思うのだけど。


こういう行動をする人だから、やっと手に入れた名誉と権力を手放す勇気はないだろうなあ...
もう権力はともかく、名誉はすっかり消えてなくなっているのにねえ。