ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

停電と原発

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連日映像で流される東北各地の被災地の姿は、涙なしでは見ていられない。
どこかのテレビ局での、家族が皆いなくなったと言う12歳の少女の「おかあさ-ん!」という叫びは、死ぬ迄忘れる事が出来ないだろう。

そして、食料や水が足りないという被災地の情報に対して、今我々が住んでいる地方でのそうしたものの「買い占め」騒ぎは...
確かに、「近いうちに震度7以上の余震が」とか「三日分の食料と水を用意しておく事」なんて情報が流れて、慌てて用意しようとしているのは判る。
まして、男親にとっては「俺が家族の分も用意しなくては」というのも判る。
しかしスーパーなどで、残っているものを全て買い占めていくような買い方をするのは、違うのではないか。
三日分ならそれだけにするべきなのではないか...昔見たトイレットペーパーの買い占め騒ぎを思い出してしまう。
少数の人達がそうやって棚ごと買って行くような買い方をすれば、後の人が焦ってまた余分に買って行くようになり、本来10人の人が買えたものが3人でなくなってしまう...そんなことがそこら中で起こっている。
そうして余分に買い占められたものは、結局本来必要な量よりたくさんの不足分を作る事になり、本来被災地に向けて届けられる分を不足させているのかもしれない。
自制するべきではないのか。
自分の家族には二日分、後の分は被災地に...というように。

これだけの大災害なのに、略奪や暴行事件も起きず、きちんと礼を尽くし、淡々と悲しみを語る日本人の姿に、心から誇りを感じ共感する。
だから、我が身の安全な人間が買い占めの醜い姿を晒して、耐えている被災地の人達の誇りを汚すような事の無いように...お互い自制しようではないか。
今日からは本格的になるらしい「停電」にも、我慢する事は出来るだろう...東北の事を考えたら。

そして、これから一番怖いのは、福島原発
もうこれ迄の事だけで十分重大な「原発事故」なのに、今進行中の2号炉は既に「スリーマイル島」の事故を越えているのでは?
これを押さえきれなかったら、第2のチェルノブイリになる...
天災にプラスして人災迄が重なって、どんどん悪い方向に向かっているような気がしてならない。
既に関東地方にも「外に出るな」「雨に濡れるな」とあちこちから警報が響く。
こんなものは、もう要らないのではないか?
それで得られる「便利さ」を、我慢した生活の方が我々の身の丈に合っているのではないか?

「不便だ」と言われた時代よりも、「今の方が幸せだ」なんて言い切れないのなら。