ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

自粛?

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これほどの大災害だ。
そう簡単に震災前の生活に戻れる訳がない。

原発はますます状態の深刻さが知られて来ているだけだし、復興の動きも広すぎる被災地のために、どれほどの人数をつぎ込んでも目に見えるような形にはなり難い。
テレビに映る被災地の方々の今の生活の状態、被害の大きさ、家族を亡くした悲しみ、それぞれが忘れられない重さとして気持ちの上に降り積もって行くのを感じる。
...事態は、あまり良くなってはいない。

...どうしても、亡くなった方々や残された人々の悲しみの前では、自分の楽しみや遊びの行動は「我慢」し「自粛」するのが当然だと考えてしまう。
こんな時に自分が楽しむなんて不謹慎なんじゃないか、一日一日を生きるのに精一杯の人達に比べて贅沢すぎるのではないか...
それはよく判る。

今、被害を免れた地域でも、飲食店やレジャー施設、観光地、旅館、温泉、ゴルフコース、などで大幅に客が減って苦しい状態だという。
しかし被災地に比べたら、このくらいは...という事でじっと耐えているところが多い。
でも、この我慢は長くは続けられない。
そういう場所にも、普通に働いて給料をもらっている普通の人が沢山居る。
客がいなくなれば、その給料を払うお金が入って来ない。
災害に遭わなくても、この世界はお金が回らなければ生活できなくなるのだ。

自粛しすぎてお金が一所に留まってしまうと、経済活動がストップして経営は成り立たなくなり、従業員は解雇され、それが回り回って自分の仕事迄影響される事になる。
浪費する事はない、贅沢をする事もない。
でもごく普通の人が、ごく普通の楽しみや、喜びや、気休めを求めてお金を使うのは、絶対に必要な事なんだと思う。

買い占めや買いだめで、他人と競争で一部の品物にお金をつぎ込むより、ちょっと質素にしてもいいからいつもの店に行く事。
回数を減らしてもいいから、自分の楽しみを続ける事。
そうやって、今迄のような(贅沢ではなく)普通の生活を続ける事も、ある意味で人助けなんだという事を考えてもいいだろう。
この災害の事を忘れなければ、少しだけ楽しんでも罰は当たらない。
この世界が、この日本が好きなんだったら、それも「がんばれ日本!」に参加している事になる。

...多分、長い戦いになるから。