ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

本心からでないのなら...

イメージ 1

「本心からでないのなら、紳士のふりをして無理に同情の意を表さなくても良い」...ピーター・ドーバレイナー。
ピーター・ドーバレイナーは、イギリスの評論家。

そもそもゴルフは紳士のゲームなんだから、相手の思いがけない不運に対しては、決してそれを自分の幸運として喜んだりせずに、心からの同情の意を表して相手を慰め「なければならない」ものらしい。

そんな事を特別に思っていなくても、一緒に回るゴルファーの素晴らしいショットが想像もしなかったアンラッキーによって、とんでもない結果になる、なんて事はよく体験する事だろう。
そう言う場合は我々だって心から同情して、「アンラッキーでしたねえ」なんて声をかけるだろう。
自分でもその当事者になったら、「運が悪いですねえ」なんて声をかけられれば、自分のナイスショットがアンラッキーによって酷い結果になってしまったという事を認めてもらえたとして、少しは怒りや嘆きが収まるだろう。

が、もし相手が永久スクラッチのライバルで、ここのところ負け続けていた場合...本心から同情するだろうか(笑)。
思いっきり喜びの笑いをこらえながら(吹き出しそうになるのを我慢して)、出来るだけ嘘っぽい神妙な顔をして、「ドンマイドンマイ、アンラッキーだったなあ」なんてもっともらしく慰めて「やる」だろう,,,その内心では「ゴルフの神様は俺をまだ見放してはいなかった」なんて感謝しながら。

もし握っている相手だったらどうだろうか。
そんなアンラッキーな目にあった相手に、なるべくその痛手にじっくりと塩を塗り込むように「狙いは良かったんだけど、ゴルフの神様が上手い人に試練を与えてくれたのかなあ...」とか、「ちょっと腰が早く開いたかなあ、惜しかったですね」とか言ったりして。
同情のふりをして、相手を怒らせるか混乱させる訳だ。

...そんな風に考えると、素直に本心から同情する時というのは、意外に少ないのではないか。

我々のゴルフは、その回数があまり多くはないだけに運不運は結構偏る。
運が悪いときは、そんなアンラッキーな出来事が続く事が多い...我々のゴルフでは決して運不運は同じ量にはならないもの。
そんな、いつものようなアンラッキーが続いた時に、いつも同じような心の全くこもっていない紳士ぶった「バッドラック!」とか「アンラッキー」だとか、「運が悪かったですね」なんて同情の言葉は要らない。
自分じゃアンラッキーが普通だと思っているんだから...それを嘆くのもゴルフの楽しみのうちだし、たまにあるラッキーは期待してないから一層嬉しいんだし。

だから、提案する。
あまり、軽く同情の言葉を言うのはよそう。
まして、心から思っていないなら黙っているのが一番。
言葉にしなくても、黙って一緒にボールを探す...アンラッキーに出会った人にはそれが一番嬉しいものだ。

この言葉は、紳士のゲームの実情をイギリス紳士が嘆いている言葉。
イギリスの「紳士」同士でさえそうなんだから...

紳士生まれじゃないゴルファーは、紳士ぶる行為より親身な行動だ。
口先だけよりは、心意気、だね...我々は。