ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

夏の記憶

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暑い暑いと嘆いている7月の末。
少し前までは、7月の最終週から8月の第一週は海のキャンプに行くのが夏恒例の行事だった。

房総半島の先の根本キャンプ場に行き始めたのは、下の娘がまだ満足に歩けもしなかった20数年前。
それからずっと、その娘が学校を卒業して夏休みが取れなくなるまで、毎年ずっと行き続けたキャンプ。

それは普通の人々がするようなキャンプと違って、一週間から十日の間、ただ海の側にテントを張ってなにもしないで暮らす日々。
俺は日がな本を読み、缶ビールを飲み、小さな娘達が溺れたりした時のために足ビレをつけたまま、海辺でうたた寝をして過ごす日々。
小さな娘達は、岩場で遊び、波で遊び、本を読み、3度の食事を手伝う。
奥さんは、「日に焼ける」とか「食事が大変」とか言いながら、日が経つにつれて「海の日々」が終わるのを惜しみ、悲しむようになる。
俺の仕事はテントの設営と、日々その暮らしを改良して住みやすくしつつ、水運びなどの力仕事をすること。

...キャンプは、暑すぎる夏も、冷夏の夏も、雨降り続く夏も、風が吹き続ける夏も、あげくの果ては台風の下でも(この時はキャンプ場には、うちともう一軒のテントの二張りしか居なかった)、ずっと休みなく続いた。
キャンピングカーで北海道を回った2回を除いて、20数回続いたキャンプ。

この夏の行事は上の娘が社会人になってからも続いた。
彼女達にとっても、夏はそのキャンプ場で過すということが当たり前で、それが彼女達の「夏」そのものだったと言う。

そんな日々も娘達の都合が付かなくなって、終わる日が来た。
...それから何年経ったんだろう...
都会で夏の暑さを嘆いている隙間に、ふと蘇る「海の日々」。
今頃は、もうキャンプ場に行っているか、その準備の買い出しをしている時期だった。

あの時はそんな日々がずっと続くように感じていた。
すべては変わり、終わらないものはないのに、それを実感するのは終わってしまった後なのだ。

今、幼い子供達と暮らす若い夫婦達に言っておきたい。
「その日々を大事に」
「その日々があなた方の一番の記憶に残るんだから」

夏というものが特別な季節に感じるのは、こんな日々があってこそだと思う。
みんな、暑いけれど良い季節にね...